2006年8月17日 (木)

震災疎開受け入れ先としての下仁田町(勝手に下仁田町再生計画おまけの4)

もうすぐ「防災の日」の9月1日ですが、今日の日本経済新聞総合欄に、昨日中央防災会議の「首都直下地震避難対策等専門調査会」の初会合が、8月16日に行われた旨の記事が出ていました。

その中で「被災者の疎開・帰省を奨励したり、ホテルや空き家を避難場所として活用する可能性を探る見込み。」との文章がありました。

7月29日の記事、「勝手に下仁田町再生計画その最終回」で人口減対策として2地域居住を都市圏に住む人たちに勧める場合、「奥の手」として大地震発生時のリスク分散に2地域居住を勧めてはどうかと書きましたが、中央防災会議でも「疎開」を奨励するということになれば、これを活かさない手はないと思いました。

予め登録しておけば、優先的に疎開を受け入れる制度を確立しておいたら、どうでしょう?

東京北部を震源とする直下型地震が起きた場合、東京都で390万人、埼玉県で67万人の避難者が発生すると見られています。東京23区の人口は約850万人ですが、甚大な被害が予想されるのはこの地区ですから、避難者の多くは東京23区に居住する人たちと予想されます(因みに群馬県の避難者数予想は0人です)。

阪神・淡路大震災では人口約150万人の神戸市だけでも22万2千人の人が避難所での寝起きを余儀なくされました。

避難者すべてが避難所生活をするわけではありませんが、人口密度が神戸市に比べ格段に高い東京都23区の場合、避難所での生活はかなり厳しいものになると想像されます(東京都中野区の人口密度は1平方キロメートル当たり20067人。23区中人口密度が一番低い東京都港区でも8521人。これに対し神戸市の中で一番人口密度の高い垂水区は7979人。2004年10月1日の推計人口に基づく)。

特に高齢者の方には避難所生活はきついものと思われます。

下仁田町での受入可能者数を前もって調査しておき、これに近い数の登録者を募集する訳です。どうしても、下仁田町出身者や配偶者が下仁田町の生まれといった下仁田町縁故の人を優先せざるを得ないでしょうが、募集してみないことにはどんな方が応募するか分かりませんので、応募基準をどうするかは、様々に検討せざるを得ないと思います。.

川場村と世田谷区の関係のように、予め東京23区のいずれかと提携関係を結んでおくといった手法もあるかと思います。

そして震災疎開の希望者の方とは、下仁田町の物産の案内や祭礼への招待、体験宿泊など常日頃から関係を深めておくのが理想的なのは、言うまでもありません。

大震災が発生する前に2地域居住の生活を始めたり、下仁田町に移住してくれれば、それに越したことはありません。

受入施設を通常はどう維持管理し、さらにはどう効率的に活用するか、といった問題も出てきますが、基本的には下仁田町を体験する宿泊施設として利用することを軸に考えていけば良いように思います。

すでに高齢者を中心に、東京脱出の動きは始まっています。基本的には豊かな山と川、おいしい食べ物、参加したくなるイベントを揃えることが地域間競争に生き残っていく王道でしょうが、災害の少ない群馬県という切り口でアピールすることも必要ではないでしょうか?

【下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒14マイル≒22km】

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2006年8月11日 (金)

夕張市の決算状況は味わい深い(勝手に下仁田町再生計画おまけの3)

先ごろ破綻した夕張市の平成16年決算状況をゆっくり見る時間が出来たので、我が愛する下仁田町の同じ平成16年決算状況と比較してみようと思います(下仁田町の人たちには迷惑かもしれませんが)。

※表は下記を参照して下さい。
http://www.soumu.go.jp/iken/zaisei/card-5.html

ただ、仕事柄、中小企業などの企業会計による決算書は長い間見慣れてきましたが、公会計の決算書は余りお目にかからなかたので、思い込み等による記述があるかと思いますので、予めお断りしておきます。

まず私が不思議に思ったのは、歳入額が標準財政規模に比べ異常に大きいことです。標準財政規模というのは「地方公共団体が通常水準の行政を行う上で必要な一般財源の額で、標準税収入額等+普通交付税額」(群馬県の地方財政状況調査の資料の見方から。以下同じ)だそうです。借金や特別な収入を考えないで、住民に対し、行政サービスが行える財政規模とでも言うのでしょうか。

(私の単純な頭では、一般財源-特別交付税が大体標準財政規模になると思っています。)

夕張市の場合、歳入が194億49百万円(百万円未満切捨て)。これに対し標準財政規模は45億25百万円です。歳入は標準財政規模に比べ4.3倍の規模です。

歳入といえば収入です。標準財政規模も同じく収入です。同じ収入の意味なのに何故こうも金額が違うのか?

下仁田町はどうでしょう。歳入が46億60百万円。これに対し標準財政規模は30億61百万円です。倍率は1.5倍程度です。群馬県の他の市町村でも、この倍率が2倍を超えるところは少ないでしょう。

夕張市の場合、2倍どころか4倍を超えています。このカラクリは、歳入の諸収入という勘定科目にあります。夕張市はこれが99億73百万円になっています。これだけでもすでに標準財政規模の2倍以上です。

(下仁田町はこの諸収入の科目は82百万です。)

人口規模は夕張市が1万3615人、下仁田町が1万0678人。面積は夕張市が763平方km、下仁田町が188平方kmですが、いくらなんでも99億円の差が出る理由が見当たりません。

明らかに異常値です。これが、問題になっている一時借入金の処理に繋がっています。実は借金なんです。借金を収入だと主張するする考え方は(キャッシュフローからすればともかく)、まあ、地方自治体ぐらいでしょう。普通の人は、借金を労働の対価である収入とは考えません。ヤクザな駄目オヤジなら言い張るかもしれませんが。

支出である歳出(性質別)の勘定科目に、公債費の内訳とあって、元利償還金とは別に一時借入金利子というものが立ててあります。金額は5521万円です。

下仁田町を始めとして群馬県の市町村の場合この欄は殆どが「-」です。金額の記載があっても10万円以下の金額です。

経常収支比率は平成16年度の決算状況で116.3%と、目安となる80%をはるかに超えています。つまり人件費など、企業で言えば固定費に当たるものが、普通の収入で賄えなくなっていたのです。

自主財源がどのくらいあるかを示す財政力指数は1.0以上あるのが理想的ですが、夕張市の場合、0.22の水準でした。要するに「3割自治」どころではなかった訳です。

公債費比率(標準財政規模に占める公債費の比率)は10%がひとつの目安と言いますが、夕張市の場合20.5%です(下仁田町は8.9%)。

こういった数字を見逃した市会議員や北海道庁の担当者の人たちの責任を追及するのは簡単ですが、追求しても、無駄だと思います。「分かっちゃいるけど、止められなかったのです」。

なぜ、とめられないか?夕張市や北海道で、浮いた存在になりたくなかったのです。落選やみんなから嫌われるのは避けたかったのです。

ですから、炭鉱の閉山が始まり、収支計算と努力目標の設定もないまま、観光に突き進み始めた時から、夕張市の破綻は約束されていたのです。

過去からの発想で、街の発展を考えるしかなかった人たちを咎めても仕方ありません。それを追認する構造が、夕張市に限らず、全国の殆どの市町村で出来上がっています。

夕張市に住んでいる人に、夕張市の破綻はあなたにも責任があると言っても、多分、因縁をつけられたとしか思わないでしょう。

破綻を表明した夕張市において、首長さんや市会議員さんの真価が問われるのはこれからです。住民の人もそうでしょう。行政サービスの低下、居住コストの上昇から夕張市を離れていく人も少なくないと思います。

そういった状況の中で、どのような再建策を見出していくのか、少子高齢化の本格的到来を前に、全国の人が注目していることでしょう。きっと応援団も出てくることと思います。何年かかって再建できるか見当も付かないといわれていますが、それを早期に解決するしか、立つ瀬はないのではないでしょうか?

(吏員としての夕張市の職員の責任は重大です。知らなかったでは済まされない問題です。心ある夕張市の部長クラスなら、即刻退職すべきでしょう。もう若い人間に任せるべきです。でもすでに若い人もいなかったりして・・・)。

【借金も多くはないけれど積立金も多くはない下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒14マイル≒22km】

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2006年8月 4日 (金)

中山間村とIT技術(勝手に下仁田町再生計画おまけの2)

IT技術を使って何かやろうと言ったとき、一番の難題は、最も技術的に遅れた人のレベルに合わせてシステムを構築しなければならないことだ、とよく言われます。

IT技術は日進月歩の速さで進んでいますが、不特定多数の人の参加を想定したシステムを作ろうと思っても、必ずこの「最も技術的に遅れた人のレベルに合わせなければならない壁」にぶつかって、計画が頓挫してしまったり、本来のシステムの力が発揮できないといったことが多いようです。

会社など営利を目的にした法人でシステムを作るなら、その構成員たる会社員等は、否応なくそのシステムを使いこなすだけのスキルを身につけなければなりませんし、当然そのように要求されます。

少し前までは、パソコンに触るのも嫌だ、と言っても会社内で通用したかもしれませんが、今はもう許されない状況でしょう。どんなオジサンでも、パソコンのディスプレイを覗き、Eメールで来た業務通達を見て、結果をメールで返信しなければならなくなったように思います。

今後の下仁田町などの中山間村を考えるに当たって、IT技術(力)のある自治体とない自治体では大きな差が出てくるように思います。それは町役場や村役場が、という意味ではありません。住民レベルの問題です。

企業ではありませんから、住民に対しIT技術(スキル)の向上を強要することは出来ませんが、多くの人がIT技術(スキル)に長じている中山間村の場合、有利な事業展開が可能になると思います。

現在でも高速大容量通信(ブロードバンド)使用料を助成する町村は少なくありません。ただこれは都市部との情報格差を埋めようとする、受身のインターネットの使い方から発想されたことのように思います。

今後はパソコンとブロードバンド環境を、中山間村の魅力を発信するためのツールと考えて、住民のIT技術(力)向上に努めた自治体が、地域間競争の中で優位に立てるような気がしてなりません。

極端に言えば、全員がパソコンを持ってブログを開設し、村の情報を発信する中山間村と、パソコンなどなくても生きて行けるからとパソコンのある家も少ない中山間村では、情報の発信量がまったく違ってきます。動画も配信できますから、テレビの取材を待っている必要もありません(どんな演出でどんなキャラクターを起用するかの問題は残りますが)。

また行政情報を周知徹底させるコストも、およそ違ったものになるでしょう。

中山間村の場合、65歳以上の人口が占める割合が、すでに30%以上のところが殆どのため、この人たちのスキルをどう底上げするかがポイントになります。

誰もパソコンに近寄らないといった声が聞こえてきそうですが、動機付けさえあれば、幾つになってもパソコンを身近なものとして使うのではないでしょうか?

以前、料理のツマになる木の葉や草花を特産にしている村の話をテレビで拝見しました。少し驚いたのは、70歳前後の老婦人たちが、パソコンを操り、農協からの様々なツマの市況をパソコンで確認し、もっとも自分に有利と判断したツマの受注を受け、そして出荷作業に当たっていることでした。受注は、早いもの順で決まるようでした。

そして個別に集計された、毎日の出荷状況や累計の出荷金額がインターネット上でオープンになっており、組合員は誰でも見られるため、各自の競争心を刺激していました。

(話はちょっとズレますが、今の40代以上の女性の場合、子供が学校に上がり、PTA活動などの連絡上必要なため、パソコンを使い出した人が一番多いようです。)

主なIT技術の底上げ対象は高齢者ですから、タイピングとローマ字音の説明から始めなければならないのではないでしょうか。気の遠くなるような作業かもしれません。

もちろんブロードバンドに繋がることによって想定される悲喜劇やサイバー犯罪に注意を喚起することはもっとも重要なことになるでしょう。

しかし、こうした問題を面倒くさいと言って、住民のIT技術向上に背を向けてしまう自治体は、それなりの報酬しか得られないと思います。

コンピュータリテラシーに乏しい高齢者を対象にIT技術の底上げをやって行くことは、殆ど徒労といえる作業かもしれません(失礼!)。しかしこれを実現し、地域全体で情報発信できる町村は、サイバーな日本地図の中で占める面積が、実際よりずっと大きくなります。そして行政コストも低くなるかもしれません(コスト削減については、当分賛否両論の混乱が続くと思いますが)。

(高齢者のIT力向上は、実際には、視力等の問題も考慮すれば、3割の人がパソコンに対するアレルギーをなくし、1割の人がインターネットで情報を発信できるようになれば上出来なのではないでしょうか?)

IT技術(力)をどうのように使って中山間村の魅力をアピールしていくかは、それぞれの腕の見せ所でしょう。情報発信を組織化して行うことも検討すべきかもしれません。

中にはアピールすべきものがないことに初めて気が付く町村が出てくるかもしれません。それはそれで結構なことだと思います。

(最後は本当にその中山間村が魅力的かどうかの戦いになるわけですから、全国レベルで見れば、ただの「裸の王様」でしかなかった場合、早めにその事実を認識するのは重要なことだと思います。また、そもそも発信すべき情報があるかないかからの議論が始まるかもしれません。)

今話題のソーシャルネットワーキングサービス(SNS)などを通じて都市部の人と交流し、何を中山間村に期待しているのか直接把握できれば、そこに自ずから創意工夫も生まれてくるのではないでしょうか?

人口規模が大きな市部ではなかなか実行に出来ませんが、小回りが効く規模の中山間村はこの点有利です。早いうちに合意形成できるか出来ないかが、地域間競争の成否を握っているように思います。

群馬の中山間村の代表である下仁田町から軽井沢までの直線距離≒14マイル≒22km】

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2006年7月30日 (日)

勝手に下仁田再生計画おまけ

久しぶりに上信越道下仁田インターチェンジから、国道254号線に入り、紅葉街道(県道下仁田・軽井沢線)を通って軽井沢まで抜けてみましたが、およそ40分で軽井沢・浅間ゴルフコースに着きました(殆ど信号なし。碓氷・軽井沢インターチェンジからこのゴルフコースまで結構ありますよ)。

下仁田インターチェンジで降りても、軽井沢までそんなに大きな時間的な違いはないと、改めて思いました。しかし夏の観光シーズンの日曜だというのに、紅葉街道はガラガラ。行きも帰りも対向車には4~5台しかあいませんでした。喜ぶべきことか悲しむべきことか・・・。

ただ、大きな収穫がありました。下仁田町本宿でたまたま入った蕎麦店が、結構なところだったのです。店の名前は「そば のれん」(下仁田町本宿744-1)さんです。

本宿の集落は旧街道沿いに細長く続いているのですが、白壁の民家や土蔵が多く、落ち着いた佇まいです。ほぼ100%屋根瓦の家で、昔の日本の集落そのままといっていいかもしれません(クリックしてみて下さい)。

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美しい町並みです。景観保存しておいて欲しいところです(ここに空家が出たら、2地域居住希望者にはお薦めの不動産になりますね。本宿から下仁田町の市街地にあるコープ下仁田店までクルマで10分くらいですし、軽井沢町まではかなり近くなります)。

「そば のれん」さんは、古い民家を蕎麦屋さんに改造した店で、落ち着いた雰囲気です。3年前から始めたそうです。写真(ちょっとピンボケ)は天ざる(1300円)です。サービスでこんにゃくの刺身が出ます。

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天せいろがなかったので、海苔が邪魔だなと思いながらも頼んでしまいましたが、注文してから良くメニューを見ると野菜てんぷら盛り合わせ(400円)というのがあったので、せいろ(600円)とそれを頼めばよかったのですが、後の祭りです。

うれしいのは「おかわり」400円というのがあることです。2枚目のせいろを頼むとそれは200引きになるなんて、うれしいじゃありませんか。

これ食べきれるかな、というくらい天婦羅の量が多いのにびっくり。そばも細打ちで私の好み。自家製粉で石臼挽きです。そばつゆも充分だしがきいていて、そば湯を楽しめました。そば好きは、一度行ってみて損はありません。

隣に座った中年3人組は、せいろをそれぞれ3枚平らげていました。その中のお一人が、この間は6枚食った、と自慢げに話していました。

馴染みの客らしく、まだそばあるかい?と言いながら3枚目を注文すると、店の主人が、半額でいいかい?と返していました。400円のはずのおかわりが、さらに100円引きです。馴染みの特権だなあと、うらやましかった次第。

経木に墨で、天然鮎塩焼き500円、天然山女塩焼き500円と書かれた案内もあったのですが、クルマを運転しなければならず、かといってこれを頼んだら飲まないわけには行かず、残念ながら結局今回は断念(そうでなくとも、つい一杯遣りたくなる店の雰囲気なのです)。近いうちにリターンマッチに行きたいと思っております。

帰りは珍品「ねぎ最中」を購入。

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そして「道の駅しもにた」に寄って、カップラーメンの「下仁田ねぎ 味噌らーめん」(原料供給元:甘楽富岡農業協同組合。群馬県上野村「十石みそ」使用とパッケージに書いてあります)を購入。

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しかし、今回はこんにゃく刺身(やまふぐとよく言いますが、前橋市の電力中央研究所では本当に河豚を養殖しています。これがほんとの山フグです)も、こんにゃくゼリーも、こんにゃくアイスも、こんにゃくチップも、こんにゃくジャーキーも、コメこんにゃくも、こんにゃくイクラも、こんにゃくそうめんも買わずに帰ってきてしまいました。

(結構、食ってるもの。)

【「そば のれん」がある下仁田町本宿から軽井沢町までの道のり≒11マイル≒17km】

 

 

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2006年7月29日 (土)

勝手に下仁田町再生計画その最終回

・2地域居住の推進が王道
過疎化・高齢化対策が焦眉の急ですが、実際のところ下仁田町或いは周辺町村に急に就業先が増えることは殆ど望み薄でしょう。ですから、下仁田町に建てる家を第二の住居(別荘)と位置づけてもらえる人を呼び込むしかないように思います。2地域居住の提案が一番の方法のように思えます。

週末や休日、長期休暇のときは下仁田町をメインの住処とし、平日は首都圏に居住して仕事をするといったイメージです(あるいはその逆の、2地域居住でもかまいませんが)。

同時に、ブロードバンド環境を整えて(上野村も南牧村もCATVが低料金で利用できるのですから、多分すでに整っていると思いますが)、在宅勤務が出来るような仕事の人に、定住化してもらうよう努めてみることです。東京都への時間距離を考えた場合、下仁田町は充分にその優位性があると思います。首都圏での仕事が建て込む時もあるでしょうから、経済的に可能なら、やはり2地域居住の方法をとってもらえればよいと思います。

下仁田町の場合、高速道路(上信越自動車道)のインターチェンジがあり、大消費地である首都圏までの時間距離は通常1時間です。隣には、年間800万人の観光客入込数がある軽井沢町があります。医療・病院施設も一般病棟94床・療養型病棟50床の下仁田厚生病院があります。そしてすでに、ねぎとこんにゃくといえば下仁田というブランドがあります。2地域居住を薦めるにあったても、条件的には恵まれていると思います。

25年後には群馬県でも1割の人口減になると推計されています。もちろん日本全体でも減ります。そんな時代ですから過疎化対策の実際は、人口増を目標に掲げるには無理があります。

今の人口水準を如何に維持するか、人口減にどう歯止めをかけるかが、数字的な目標にならざるを得ないと思います。1万人のコミュニティを守ることです。その一助として2地域居住の推進を行えばいいのではないかと思います。

そして訪問客(観光入込数)を増やすことです。当面の目標は入込数を倍の132万2千人にし、客単価を倍にすることです。そうすれば観光消費額は5億円から15億円強になります。

猿など獣害をどう防ぐかの問題があるでしょうが、山や川を豊にし、美しい沿道を作り、四季それぞれに美味しいものが溢れ、楽しいことが準備されていれば人は集まってきます。「オシャレな村」を作るのです。

あとはそれをやるかやらないかです。一歩踏み出す勇気があるかないかです。簡単なことなのですが、それが出来ない市町村が殆どです。だからこそ、逆に言えば、今始められるところは強くなれるでしょう。危機感があって、熱血漢がいれば実現できます。

さて、前回言った通り、定住を誘う「奥の手」を書こうと思います。余り大々的にはできませんが、潜在的な需要を掘り起こす策として有効かもしれません。

ただその前に、東京都生活文化局が実施した2つの世論調査を見てみたいと思います。

ひとつは2005年11月に発表された「都民生活に関する世論調査(以下、都民調査)」。もうひとつは2006年3月に発表された大地震の発生についての「防災に関する世論調査(以下、防災調査)」です。

都民調査の質問項目の中に「東京定住意向」というものがあります。今後も東京に住みたいかどうか質問したものです。今後も住みたいとした人は70.4%、住みたくないとした人は13.5%です。住みたくない理由は、人や車が多すぎる、公害がひどい、生活費が高い、住宅事情が悪いがトップ4(複数選択)です。半数近くの人が、今後も住みたくない理由に上げています。

ただ私はこう言ったひとが本当に将来東京を脱出するかといったら、かなり疑問のような気がします。はっきり言えば、どうということもない理由です。また行政の努力や自助努力により解決しやすい問題です。

別の理由で今後住みたくないと回答した人がいます。「治安の面で不安だから」が16.1%、「人間関係が希薄だから」14.7%です。この二つの理由は、東京脱出のかなり強い誘引になるような気がします。住みたくないとした人の14.7%から16.1%ですから、全体の2.0%~2.2%に当たります。

防災調査を見てみると、大地震への不安感という質問項目があり、全体のうち非常に不安を感じる人が47.6%、少し不安を感じる人が45.3%になっています。

そして大地震の際の心配ごとでは「住んでいる家屋の破損・倒壊を選んだ人が66.1%に上ります。住宅の耐震性に関しては大地震に「耐えられない」と答えた人が18%、「わからない」が43%になります。耐震化を希望するかどうかの質問では「希望する」が77.0%と圧倒的ですが「希望しない」人も9.3%います。

そして注目したいのは住宅を耐震化しない人の理由の中で「集合住宅や借家に住んでいるので自分では決められない」を理由に上げた人が23.7%、「面倒」と答えた人が16.8%いることです。つまり全体の2.0%から1.4%が大地震は不安だが住まいの耐震化はできず(せず)にいるということです。

ここまで書いてくると、私が何を、首都圏住民を定住に誘う「奥の手」として用意しているか、うすうすお気づきになったかもしれません。

それは、大地震発生時のリスク分散として、下仁田町に住居(別荘)を作っておき、通常は第二のふるさととして楽しんでもらうことを提案するのです。すでに、治安の悪化が気になる人が増えている中で、大地震が起きたらどうでしょう。

起こるか起こらないか分からないものを利用し、人の弱みに付け込むのは如何なものかという御意見は多いと思います。もちろん、これをセールスポイントの第一にする気は毛頭ありません。下仁田町と、2地域居住の魅力を訴えるのが先です。

ただ、そのプラス効果として、万が一大地震が起こった場合でも、下仁田町に住む家を確保しておくと安心なのではないか、とアピールすることも必要ではないでしょうか?(幸いにして海がないから津波の心配もないし。半分冗談です)。

あくまでもリスク分散です。そして大地震の不安を感じ、住んでいる家屋が破損・倒壊するかもしれないと心配しながら、集合住宅や借家に住むため自分では住宅の耐震化が決められない2%くらいの人が、この定住促進のコアなターゲットになると思います。

数としては、東京23区の人口852万人に、埼玉県のさいたま市以南の人口約200万人を合わせた1052万人の2%、21万人程度です。内輪に見て20万人としましょう。

(意見調整がまとまらずに建て替えできないまま、倒壊の心配があるマンションに住み続ける阪神・淡路大震災の被災者も少なくないと聞きます。10年以上経っても、です。)

当面、下仁田町に100戸の住宅(別荘)を増やすことを目的にすれば、1戸2人として、20万人の千分の1、つまり0.1%の人を誘導で切れば上出来なのではないでしょうか?

「下仁田町中心市街地及び道の駅周辺地区」は、平成18年度「まちづくり交付金」(国土交通省)支給対象の新規事業地区になりました。平成22年度までの事業規模は8億85百万円(うち国費3億54百万円)です。予算規模が40億円強の町ですから、かなり大きな事業です。

是非ともこの事業と2地域居住住民の呼び込みを連動させられないか、模索して欲しいものです。

【下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒14マイル≒22km】

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2006年7月28日 (金)

勝手に下仁田町再生計画その10

前回、中山間村地域において過疎化・高齢化対策は焦眉の急であることを、将来推計人口の数字を使って書いてみました。わずか10年後のことですから、ここ2~3年が勝負になるでしょう。危機感は目の前といった感じです。

では、具体的な対策として何が考えられる、かです。実に単純にして、最も難しい「魅力のある街づくり」の問題です。

確か総理府の世論調査だったと思いますが、将来的に都会に住みたいかそれとも田舎に住みたいかという設問に、田舎に住みたいと言う自然派は3割ぐらいで、圧倒的に都会志向が強かったように記憶します。

何故かという理由は殆ど忘れてしまいましたが、お金の問題は別にしても、映画演劇美術などに接する機会が少ない、買い物などで魅力あるところが少ない、病気になったときの医療体制の問題などが理由に上げられていたように、うっすら記憶しています。刺激が少ないんですよね。

普段は都会に住んで、喧騒に疲れると田舎に行って自然に触れてみたい、といった人が多数なのではないか、と思います。

それも山だけより、海がある田舎の方がいいのではないでしょうか?(海無し県である群馬県育ちの私は特にそう思います)。食べ物に関しても、海があるほうに軍配が上がるような気がします。

この延長線上で無理なく「魅力ある街づくり」を考えてゆくしかないと思います。10人に1人くらいが、山間村に住んでもいいと考えている、くらいの状況でしょう。

定住化を推進するにしても、まず街を知ってもらわなければなりません。いきなりフラッと来てその町に住みつくのは「ふうてんの寅さん」くらいです。定住化の対象者となる基本的な数字は、首都圏(通常の首都圏ではなく、東京、千葉、埼玉、神奈川の1都3県を想定。以下同じ)からの日帰り観光客のマーケット規模のように思えます。まずその規模を推定してみましょう。

下仁田町は関越自動車道・上信越自動車道を利用すれば練馬インターから下仁田インターまで105.5kmで67分の時間距離です(道路時刻表)。ここだけの話ですが、実際は渋滞さえなければ50分くらいで着いてしまうのではないでしょうか(時速120キロの気分的巡航速度です)。

日帰り観光の片道の限界時間距離は2時間と言われています。片道2時間範囲なら無理なく、楽しく日帰りで観光ができた、と感じられるそうです(ちょっと無理があるかもしれませんが、日帰り圏は通勤通学の限界点と考えてもいいのではないでしょうか?)。

そうすると、東京都の人口1263万1千人(このうち郡部、島嶼部の人口は8万5千人)、埼玉県の人口707万1千人(ともに平成18年7月1日現在の推計)。合わせて1970万2千人が、大体の首都圏からの日帰り観光客のマーケットになります。

北関東道が全線開通し、圏央道も神奈川県茅ヶ崎市(湘南地域)まで繋がれば、このマーケットはさらに拡大します。

しかし、マーケットは大きいのですが、ここに大きな問題が横たわっています。それは東京都と埼玉県の人口当たり乗用車保有台数が、北関東3県に比べ格段に低いことです。

下仁田町へのアクセスを考えた場合、どうしても自動車を前提に考えざるを得ません(上信電鉄さん、高速バスを運行する西部バスさん、ごめんなさい。でもクルマがないと、定住化するにしても普段の生活に困ってしまいます)。

単純に今年4月末の乗用車保有台数を直近の人口で割ってみると、東京都は321万7千台で25.5%、埼玉県は297万1千台で42.0%。これに対し群馬県は126万1千台で62.4%です(業務用に使われる乗用車などは考慮しておりません)。

東京、埼玉(特に東京近郊)は公共交通機関が発達している上に、駐車場などの自動車保有コストが高いといった事情があります。群馬県のように、日常生活にクルマは必須ではないのです。

(そして、自動車を日常的に使っている人の行動範囲における時間間隔と、そうでない人の感覚には大きな違いがあると思います。)

観光の場合1台に平均2人乗車するとして、単純に計算すると東京都の642万人、埼玉県の594万人、合わせて1236万人のマーケットに縮んでしまいます。

しかしそれでもなお、1000万人以上のマーケットを抱えていると言うのは条件的に恵まれています(夕張市と比較してみてください。7月11日エントリーの「夕張市の失敗」をご参照下さい)。この1%の人が年4回来てくれるだけで、延べ50万人の首都圏からの日帰り観光客になります。

(7月8月の2ヶ月だけで400万人の観光客入込数がある軽井沢町の対象マーケットは新幹線のアクセスがあるだけに東京、埼玉の人口全てが対象になるでしょう。それに群馬県、長野県の人口半分ずつを加えた2180万7千人くらいのマーケットだと思います。この18.3%、約2割、5人に1人の人が7月8月のうちに1度軽井沢町を訪れる計算になります。もちろん同じ人が何度も行く場合もあるでしょうが。)

美味しいものがあって、楽しいことがあって、美しい景色があれば、観光客は来るでしょう。ただ、この3つの要素を絶えずレベルアップしていかなければなりません。地域間競争が激しいだけに、平均より少し上のレベルを最低限キープしなければなりません。

美味しいものは地元の産品を活かした「牛鍋・すき焼き」、「下仁田おでん」を核にして料理のレベルを上げてゆくことです。

イベントは既存のものに創意工夫を加え、町外の人にどう楽しんでもらえるか考えるしかありません。景色は道路沿い、山、川の景観を美しくしていくための努力をするしかありません。

そしてまずは日帰り観光客を増やすことです。多くの人に下仁田町の存在を知ってもらうことです。

下仁田町を知ってもらう方策として、同時にサイバー町民を増加させることです。既存の「ふるさと下仁田の会」の会員を増やし、ウェブマガジンの「しもにたタイムス」をメールマガジン化することでしょう。下仁田町縁故の人が一番のターゲットになるとおもいます。サイバー町民の登録方法、サービスなどは知恵を出していくしかありません。

空き家があれば、低料金で利用できる宿泊施設に転換することも考えなければなりません。そして週末や休日を利用した宿泊客を増やし、徐々に夏休みなどの長期宿泊者を増やしていく方策をとるのが良いのではないかと思います。

下仁田町で一泊して、翌日に軽井沢町に回って帰る、或いは逆に軽井沢町で遊んでから下仁田町に一泊して帰る、といった観光客が増えるよう努力すべきです。

定住化はその先だと思います。

観光客を増やすに当たって最も注意しなければならないのは、観光と日常生活をシンクロナイズさせることです。観光客を増やそうと思って始める、肩に力が入った事業は大抵長続きしません。

地元の人が、美味しいものを食べ、美しい空間を眺めながら豊に暮らしている光景に憧れて、観光客は訪れるのではないでしょうか?そして、その中から、そこに住みたいと思う人が現れるのです。

軽井沢町がブランド化したキーワードは、「別荘」です。各自が勝手に思い描く別荘ライフです。功なり名を遂げた政治家、経済人、文化人などの著名人が別荘を構える土地として軽井沢はブランド化したと思います。決して観光が先ではありません(別荘で過ごすことも観光といえば言えるかもしれませんが、ちょっと違うような気がします)。

もちろん金銭的な意味でなく、地元の人が豊な暮らしをしていなければ、或いはそう思わせなければ、観光地としてブランドを維持し続けるのは難しいように思います。

こんにゃく」から一般の人は豊かさをイメージするでしょうか?私は否定的です。ですから下仁田町は「こんにゃく」にこだわらないほうが良い、「こんにゃく」の呪縛から開放されたほうが良いと提言してみたのです。

名物料理も「こんにゃく料理」ではなく、地元の特産品も大いに活用できる「牛鍋・すき焼き」を看板に掲げたほうが良いのではないかと思った訳です。

存在を知ってもらうためには、ちょっとあざとい方法ですが、上信越自動車道から見える地点に風船爆弾を復元してみようと言ってみたのです。

生活と観光をシンクロナイズさせ、観光の3要素である、美味しいもの、楽しいこと、美しい景色を作り上げていくことは、地元の生活者にとっても多くの恩恵があるように思います。

次回は、定住を誘う「奥の手」を書いてみたいと思います。

【下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒12マイル≒22km】

下仁田町とは何の関係もないんですが、昨日、榛東村で出会ったET。農産物直売所の傍に「非売品」としておいてありました。

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蓮だと思います。気持ち悪いからクリックして拡大しないほうがいいですよ。

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過疎化・高齢化対策強化は喫緊の課題(勝手に下仁田町再生計画その9)

群馬県は全国山村振興連盟会員の県内25市町村と「ぐんまの山村回帰支援研究会」を設立し、都市生活者の山村定住や交流促進に取り組むという。

同時に、下仁田町、南牧村、神流町、上野村の4町村を体験型観光を促進する「観光・交流型」の、また桐生市の旧黒保根村地域を「定住・滞在型」のモデル地域に選んでいる。群馬県と共同歩調をとって、過疎化対策、観光対策を実施していくようだ。

勝手に下仁田町再生計画」を書いている当方としても、大変結構なことだと思う。

というのも、このままいくと、下仁田町、南牧村、神流町、上野村の将来推計人口は、コミュニティの存続も危ぶまれる推移が予想されているからだ。

数字の羅列で恐縮だが、およそ10年後になる2015年の下仁田町(2005年の国勢調査人口は1万147人)の推計人口は8584人。うち70歳以上の人口は30.4%の2614人である。

同様に南牧村(同2929人)は2113人で、70歳以上人口は48.65%の1026人。

神流町(同2757人)は2129人で70歳以上は44.3%の943人。

上野村(同1532人)は887人で70歳以上は46.3%の411人と予想されている。

4町村に特徴的なのは、群馬県内の他の町村に比べ、1世帯あたり規模が小さいことだ。2005年における国勢調査では、群馬県郡部の平均世帯人員は2.98人。これに対し下仁田町は2.91人、南牧村は2.39人、神流町2.44人、上野村に至っては2.23人である。

これはどういうことかというと、女性のお年寄り一人住まいが多いからではないだろうか?

また数字の羅列になってしまうが、2015年の将来推計人口における70歳以上の男女比を見てみよう。

下仁田町は前述したように70歳以上の高齢者人口が2614人と推計されているが、この内訳は男1055人に対し女1560人でその差は女が505人上回る。

南牧村は1026人のうち男402人、女625人でその差は223人。

神流町は943人のうち男358人、女586人でその差は228人。

上野村は271人のうち男105人、女166人でその差61人となっている。

何れも、2015年の男女比より差が大きくなる。

先頃発表された日本人の平均寿命(2005年)は、男が78.53歳、女が85.49歳でおよそ7歳の差があることを考えれば、当然かもしれない。

群馬県の調べによると2004年における65歳以上人口は40万5486人で一人暮らし高齢者は3万5736人。率にして8.81%である。この比率は年々上昇してきている(2003年が8.66%、2002年が8.48%、2001年が8.25%。一人暮らし高齢者は在宅のみで、入院、施設入所者は含まれていない)。

2015年における下仁田町の65歳以上人口は3391人(高齢者率は39.5%)、南牧村は1197人(同56.6%)、神流町1150人(同54.0%)、上野村498人(56.1%)と推計されている。

2005年の平均世帯規模で2015年の人口で割って、仮の数字だが、各町村の世帯数を出してみよう。

下仁田町は2880戸、南牧村が884戸、神流町が872戸、上野村が398戸となる。世帯規模は今後さらに小さくなるから、実際にはこれより戸数は多くなると思う。

2015年には、65歳以上人口の10%が一人暮らしになるとすると、下仁田町は2880戸のうち339戸(11.8%)、南牧村は884戸のうち120戸(13.6%)、神流町は872戸のうち115戸(13.2%)、上野村は398戸のうち50戸(12.6%)が、一人暮らしの高齢者世帯になる。

ここに気になる数字がある。2003年に草津町で行われた調査だが、70歳以上高齢者における要支援者の比率は15.9%、要介護者(寝たきりを含む)の比率は19.6%だったといわれる。

この数字を単純に当て嵌めてみる。下仁田町は2015年の70歳以上推計人口が2614人だから要支援者416人(推計人口比4.8%)、要介護者512人(同6.0%)。

同様に南牧村は1026人だから要支援者163人(同7.7%)、要介護者201人(同8.0%)。

神流町は943人だから150人(同7.0%)と185人(同8.7%)。上野村は271人だから43人(同4.8%)と53(同6.0%)人になる。

参考までに数字を上げておくと、2010年における65歳以上の認知症の出現率は8.13%と見られている。2015年には後期高齢者率(75歳以上)はさらに高まるからこの出現率はさらに上昇するだろう。認知症の平均発病年齢は72.4歳と言われている(「痴呆性老人を抱える家族全国実態調査」)。

以上から、現状のまま推移した下仁田町、南牧村、神流町、上野村の10年後の姿を概略すれば、人口は15.4%~42.1%減少し、世帯数も同様な減り方をする。

そして65歳以上人口の比率は39.5~56.1%。そのうち70歳以上人口だけでも30.4~48.65%と高水準。荒っぽく言えば、2人に1人は高齢者で、それも70歳以上のお年寄りが大半になる。

世帯のうち65歳以上の高齢者一人暮らし世帯が11~13%。つまり10軒に1軒強である。

要支援者・要介護者が人口に占める割合は11~16%。10人に一人以上である。また全体人口の4~6%の人が程度の差こそあれ、認知症を患っているということになる。

現状のままでは、こうした状況の中で、福祉を維持し、防災消防体制を整え、コミュニティを維持していかなければならない。買い物などの日常活動はどうするのか、病人発生などの緊急時の対応はどうするのか、といった問題も気に掛かる。

何も手を打たなければ、それがわずか10年後に来る。今までの数字は平成14年推計を基にしており、実際はこれよりも速いスピードで人口減や高齢化は進むだろう。

「平成の大合併の落とし穴(勝手に下仁田町再生計画その6)」で指摘したように、単に市町村合併をすれば解決する問題ではない。合併して、町村名は変わっても或いは無くなっても、人と建物はそのままで、地域は残り、消えるわけではない。

今後、過疎化対策、高齢化対策はさらに力を入れて取り組まなければならないだろう。下仁田町、南牧村、神流町、上野村はその典型的な例で、これは地方圏の市町村に共通する課題である。

【下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒14マイル≒22km】

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2006年7月19日 (水)

勝手に下仁田町再生計画その8

この8月に、利根郡みなかみ町で「第10回戦争遺跡保存全国シンポジウム」という大会が開催されるそうです。戦争体験者が高齢化する中で、「戦争の記憶」を刻印した戦争遺跡の重要な役割について論議する集まりだそうです。戦争遺跡の象徴は「広島の原爆ドーム」だそうです。高校の先輩でもあり、母校で教鞭をとっていた方がシンポジストに名を連ねているので、行ってみようかなどと考えております。

神奈川県で単身赴任生活をしているとき、湘南を回って横須賀市へ戦艦三笠を見に行きました(これも戦争遺跡に数えられると思います。三笠公園の目玉として鎮座しております)。その年が丁度「日露戦争開戦100周年」だったこともあって、日本海海戦の旗艦「三笠」は、観光バスでやってきたオジさん、オバさん、自衛隊関係の人などで結構賑わっていました。

ただちょっと、びっくりしたことがあります。戦艦三笠艦内を順路伝いに展示パネルを見て行ったのですが、明治維新の動乱からの時代背景を説明するのに「寛永(かんえい)6年ペリーの来航により・・・」と書いてあるのに気が着きました。おいおい、寛永じゃないだろう嘉永(嘉永)6年だろと、いきなりコケタました。第一展示室からこれだもの。

しかし、まあ仕方ないだろう、と考え直したのです。「戦後」と言えば、私は「第二次世界大戦後」というふうに理解しますが、若い人の中には「湾岸戦争後」と思っている方も増えていると言います。そればかりでなく、かつてアメリカ合衆国と戦争をした、ということを知らない若者もいるそうです(大学生の頃、友人と、何れアメリカと戦争したことを知らない世代が出てくるぜ、と冗談の心算で話した覚えがありますが、本当になりました。初めてこの事実を知ったときは、のけぞりイナバウアーでした)。

「戦後」と言ってもこれなんだから、約150年も前の年号である嘉永を寛永と間違えても、ドッてことないんです。書いた人にとっては、「カエイ」を「カンエイ」と記憶して起こした、ちょっとした間違いなんです(でも、東郷平八郎元帥ものけぞりイナバウアーだったろうなあ)。

時とともに記憶は風化します。しかし、風化させない努力が必要なこともあるのではないでしょうか。戦争がその最たるものだと思います。

本人の意図がどうであれ、被害を受けたんだと思った人がいれば、その人の記憶はなかなか風化しません。特に戦争などではそうでしょう。日本でも原子爆弾の記憶は決して忘れません。アメリカがパールハーバーの記憶を忘れまいとするのと同じです。ですから少なくとも、事実を事実として残していく努力は必要だと思います。

わざわざ「戦争遺跡保存全国シンポジウム」がみなかみ町で開かれる話を持ち出したのは、前々からどうしたものかと思案していた件があったからです。

というのは、下仁田町で風船爆弾を復元してみてはどうかと思っていたからです。戦争遺跡を保存するのではなく、戦争で使われた兵器を復元するのですから、物騒でしょ?どこかの平和団体から待ったがかかりそうでしょ?で、逡巡していたのです。

    風船爆弾に関するサイト

http://www.town.ichinomiya.chiba.jp/rekishi/furusato0306.htm

http://www02.so-net.ne.jp/~tornado/books/fusen.html

http://www.tom-club.net/hiroba1/sanday/report/2005/1106/1106.html

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5908/mb1/

http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/shizuoka/archive/news/2006/07/06/20060706ddlk22040072000c.html

相応の年齢になっても、アメリカとの間、中国との間に戦争があったことを知らない人たちがいる時代ですから仕方ないのかもしれませんが、下仁田町のふるさとセンター(歴史民族資料館)を見学しても、風船爆弾に関する資料は何も展示されてありません。

もちろん風船爆弾は軍の機密だったでしょうから、わざわざ、蒟蒻を原料にしたこんにゃく糊を使って風船爆弾を作ります、などと説明して蒟蒻の増産を奨励するはずもなかったでしょう。ですから下仁田町の歴史に、風船爆弾の話が残るわけはないと思います。

しかし、かつて米国と戦った第二次世界大戦というものがあり、戦況挽回のため「風船爆弾」というものを開発して、米国本土に向けて9000個以上それを飛ばした。そして、その風船爆弾には機密性に優れたこんにゃく糊が大量に使われたという事実は、今から記録しても遅くないと思っているのです。戦争の記憶が風化していく中で、事実は事実としてちゃんと残しておきましょうよ、ということです。その発展形が、風船爆弾を復元してみましょう、になる訳です。

誤解されるといけないので敢えて言っておきますが、私は好戦論者でも何でもありません。ただ、蒟蒻を原料にしたこんにゃく糊が、風船爆弾という軍用兵器に使われたという事実を、日本を代表するこんにゃく産地の下仁田町は記録にとどめて残しておくべきではないか、と考えているのです。そしてその風船爆弾のレプリカがあったらさらに効果的なのではないか、と考えたのです(当時のこんにゃく生産農家を戦争協力者だと指弾する気など、これっぽっちもないので、これまた誤解のないよう、念のため)。

風船爆弾を飛ばしては見たものの、武運拙く、彼の国を始めとする連合国軍に降伏し、その経緯があっての日米同盟なのです、ということを後世に伝えたられるようにしたらどうか、と思うのです。

それにはちょっと物騒だけれど、風船爆弾を復元したらインパクトがあるのではないかと考えた訳です(爆薬まで本物にする必要はないと思いますよ)。

そして正直に言いますと、これを下仁田町の活性化に使わせいただけたらいいのでは、と連想が飛んだ次第です。

天候が許す日は、上信越自動車道から見える地点にこの風船爆弾(気球)を上げて下仁田町の目印とし、風船爆弾について多くの資料がある(本当はこれから集める)歴史資料館に、沢山の人に立ち寄ってもらえればいいのではないかということです。

上信越自動車道の区間平均1日交通量が約2万台ですから、1年で730万台。1台平均2人乗車しているとすれば1,460万人。

天候が良くて、1年365日風船爆弾気球を上げることが出来れば、年間延べ1,460万人の人が「?・・・ッ。あれなんだ?」と思い、下仁田町を記憶にとどめてくれるかもしれないのです。そして、機会を見て、歴史資料館に足を運んでくれれば、してやったり(失礼!)です。

そして、下仁田町に足を運んでくれた人たちには、「牛鍋・すき焼き」定食か「下仁田おでん」定食を食べて行ってもらうのです。そうでないと、いつまで経っても、下仁田町の日帰り観光客の1人当たり単価は500円のままです。

(軽井沢町には外国からのお客さんも多いでしょうから、「世界に平和を!」とかいった言葉を英語で風船爆弾気球に書いておくと良いと思います。)

(和紙をこんにゃく糊で塗り重ね厚さ2センチにもした球皮を作り、当時最新鋭の電子機器類を再現するには莫大な費用がかかるでしょうから、実際には外形だけ風船爆弾に似た気球を上げるという方法になるかと思います。)

【下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒14マイル≒22km】

今日の利根川。この激しい流れにも似た時代が日本にもあったのですね。クリックしてみて下さい。

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2006年7月18日 (火)

勝手に下仁田町再生計画その7

・「下仁田おでん」を作ってみては?

こんにゃくみそおでんの素朴な味は、郷愁をそそるのに充分ですが、正直に申し上げて、頻繁に食べたくなるようなものではありません。

肉料理に慣れた今の若い世代にとって、こんにゃくだけと言う食べ物は、何か物足りなさを感じてしまうのではないでしょうか?

そこで思うのは、「下仁田おでん」とでも言うものを作ってみてはどうか、と言うことです。

こんにゃくと肉類のコンビネーションで、こんにゃくをさらに楽しんでもらうのです。「牛鍋・すき焼き」に加えて「下仁田おでん」でラインアップ強化です。

問題は、すき焼きでシラタキの存在が、肉を硬くすると思われているのと同じで、こんにゃくと肉の相性が果たしていいのか、が気になるところです。しかし、永井食堂(旧子持村)のモツ煮にはこんにゃくがアクセントに入っていますし、豚汁にもこんにゃくは必須材料です。

よく灰汁抜きしたこんにゃくや、灰汁の少ないこんにゃくを使えば、問題は解消するように思います。

肉類としては、特色を出すため、正肉は使わず、牛のスジ肉、豚の白モツ、鳥のつくねが三大材料です(ウズラの卵も試してみたいですね)。これに、こんにゃく、大根、焼き豆腐の三つを準備します。鳥のつくねは、つなぎが多すぎて粉っぽく感じるものは絶対に使わないことが大事です。こんにゃくは、味が良く沁み込むように、表面にサイの目に切れ目を浅く入れておくといいかもしれません。歯触りもまた違ってくると思います(サイの目を入れたもの入れないものの取り合わせもいい)。

牛のスジ肉、白モツは下茹でして、アクや余分な油をよく落としておくことです。

やや幅広の平串に、こんにゃくと牛のスジ肉、こんにゃくと豚の白モツ、あるいはこんにゃくと鳥のつくねの取り合わせで、これを交互に刺します。あわせて4つか5つくらい刺したらどうでしょう。こんにゃくの替わりに、大根(もちろん下茹でしておく)、焼き豆腐を使った串も作ります。

この6つの材料をどう使うか、どう並べるかは、作る人の工夫と好みです。

肉類は炙ってから煮込む人もいるかもしれません。材料それぞれの大きさ、カットの仕方。1本の串に何をどう、いくつくらい刺すかなどはそれぞれの人が、それぞれに試行錯誤を繰り返せばいいと思います(自ずから、一番売行きのいいパターンに統一されると思いますが)。

問題はしょうゆベースの味付けにするか、味噌ベースで煮込んだほうがいいかです。みそおでんの文化継承の点からすると、薄口のしょうゆで少し味のついたおでんに、それぞれ工夫を凝らした味噌ダレをぬり、粉山椒、ゆず、唐辛子は好みで振って、食べるのがいいと言うことになるかと思います。

しかし、味噌ベースで煮込み、上品な味付けというより、濃厚な味で肉類のこくみを出し、肉類のうまみを良く吸ったこんにゃくを楽しむのも捨てがたい気がします。味噌ベースにしたときは、甘みには砂糖だけでなく、ハチミツも使うのがいいように思います。肉が柔らかくなりますし、甘みにいやなくどさがなくなると思います。

「下仁田おでん」で一杯飲める蕎麦店さんがあってもいいと思います。

「下仁田おでん3本」(チョイス可)に、ごはんと汁物、地元で取れた野菜をふんだんに使った、量もたっぷりなサラダ、そして漬物。プレーンのヨーグルトにブルーベリーのシロップ漬けを乗せたデザートで、「下仁田おでん定食」の一丁上がりです。700円台で出したいところですが、手間暇かけてですから、800円台も仕方ないでしょう(ごはんの代わりに蕎麦でも構わないのではないでしょうか)。

ある店は「牛鍋・すき焼き定食」、ある店は「下仁田おでん定食」。はたまた両方出す店と様々でかまわないと思います。食の豊かさが、集客のポイントであることは、私がことさら改めて言うまでもないことだと思います。作る側にとっても、バラエティに富んだ食材に創意工夫を加えることは、喜びなのではないでしょうか。

(静岡市や小田原市は「おでん祭り」を開催しているようです。おでん必須アイテムのこんにゃくの元を供給する下仁田町は、彼の地のものどもを糾合して(失礼!)、「大本山下仁田おでん祭り」を開催してみたらどうでしょう。特に小田原おでん会は「出張おでんカー」を持っていますので、拝み倒したら、片道4時間の道を遠しとせず、来てくれると思います。)

(水産練り製品のいい宣伝になりますよ、とか、戦国時代北条氏は上野の国まで攻め込んできたんですよね、などと誘えば、かまぼこなどの練り製品や干物、シトラス(柑橘類)を山のように積み、小田原ちょうちんを高々と掲げて、時速100キロで来てくれるような気がします。あご足はこっち持ちでしょうけど。小田原の人間をヨイショするには、飽くまでも北条早雲を筆頭とする戦国の名将北条一族を褒め倒すことです。私個人としては、守屋と柳屋ベーカリー両方のアンパンも持ってきて欲しいなあ。)

(また、下仁田町の名勝・旧跡の活用までいけなかった・・・。)(*^_^*)

【下仁田町から軽井沢町の直線距離≒14マイル≒22km】

「木の葉」のコンニャク粉入りパン。くるみ入りベーグルとアンパン(右)。もちもち感が強くなっています。

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2006年7月15日 (土)

平成の大合併の落とし穴(勝手に下仁田町再生計画その6)

勝手に下仁田町再生計画」で、大胆に予測すると、10年後に下仁田町の人口は半減しているかもしれない、と書きました。

社会保障・人口問題研究所が発表している下仁田町の2015年の人口は8,584人です。私の予測はちょっと大胆かもしれません。しかし昨年の全国の合計特殊出生率が1.25となり、予測を下回ったことから人口推計を見直すそうですから、平成15年12月に推計されたこの8,584人という数字は何れ下方修正されるでしょう。

推計では、2005年の下仁田町人口は10,228人でした。昨年行われた国勢調査による下仁田町の人口は10,147人です。推計よりも実際は81人少なく、現実の人口減少のほうが早いペースです。

気になるのは人口の年齢別割合です。下仁田町は2004年で65歳以上人口が34.7%です。すでに3人に1人が高齢者です。およそ10年後の2015年にはこの比率が39.5%、25年後の2030年には44.8%になると推計されています。

一方、15才から64才の生産年齢人口は2015年で52.0%、2030年で47.4%と50%割れになると見られています。

現状のペースで行くと、65歳以上人口の増加はさらに加速し、生産年齢人口の比率は一層低下するものと思います。10年後には、早くも15歳から64歳の生産年齢人口は50%を切るかもしれません。

財政問題もあり、何れ下仁田町も他の市町村と合併せざるをえないでしょう。多野郡上野村のように、巨大揚水発電所の建設により、電力会社から巨額の収入が転がり込んで来ることはありませんので、今後増大する医療費、福祉費などの負担が増加する一方で、地方交付税交付金は減額されるのですから、余程何か新たな自主財源でも見つけられない限り、独立独歩の道を歩んでいくことは困難でしょう。

市町村合併により、下仁田町に限らず、人口規模の小さな山間町村の財政問題は、表面的には解消されます。

しかしながら、依然大きな問題は残り続ける、と私は思っています。市町村合併するだけで、居住住民の生活環境の問題が解決する訳ではないでしょう。それが平成の大合併の大きな落とし穴だと思っております。

例えば富岡市と合併したとして、合併の形態がどうであれ、下仁田町という実体がなくなるでしょうか?下仁田町の住民が消えていなくなってしまうでしょうか?

疲弊した民間企業同士が合併した場合、不採算工場は閉鎖されたり、人員がリストラされたりして、ダウンサイジングします。合併して従業員規模が3,000人になったが、再建のために2工場を閉鎖して1,000人リストラします、といった事例は、この15年間で枚挙に暇がありませんでした。

地方自治体が合併した場合、ダウンサイジングするでしょうか?合併により、下仁田町という町名は消えたとしても、「下仁田町」という実体はそのまま残ります。

行政サービスを行うのに効率が悪いから、人口の少ないこの集落とこの集落は閉村しますので、住民の人は何年何月までに退去してくださいと言えるでしょうか?そして実行できるでしょうか?

ダムで村が沈むときでさえ、移転交渉には何年も要します。ダムならまだ補償も出るでしょうが、財政の弾力性がなくなって合併したのですから、資金的に余裕などあるはずがありません。

移転を余儀なくされた人が、所有する宅地や山林をうまく売却できれば、移転を検討する余地も生じるでしょうが、これから人は住んではいけないという土地を、喜んで買う人が、簡単に現われるとは思えません(新たにゴルフ場をこれから造るんです、なんていう人は疑惑の目をもって見られます)。

地方自治体の合併が進み、表面的には町や村の数が少なくなりますが、地図の上から町名や村名が消えただけで、その地域から建物がなくなる訳でも、住人がいなくなる訳でもありません。行政サービスを行わなくてもいい地区が生じることにはなりません。

市町村合併により、表面的に財政問題は一息つくかもしれません。しかし、行政サービスを通じて生活環境を維持改善し、コミュニティをどう存続させていくのか、という大問題は残ったままとなります。

下仁田町の場合、身体的な自由度が一段と落ちると言われる75歳以上の後期高齢人口は、2015年に推計人口8,584人のうち1,999人で比率としては23.3%、2030年には推計人口のうち1,875人28.9%になると見積もられています。1人住まいの高齢者世帯も増えるでしょう。

この冬は大雪で、新潟県など山間部の豪雪地帯における高齢世帯の雪下ろしの問題が大きくマスコミ等で取り上げられました。ボランティアの活躍などで何とか乗り切ったようですが、抜本的な解決策が見つかったわけではないと思います。

高齢化した山村集落で、災害や火災などが発生したとき、防災消防体制はどうなっていくのか、私は気になって仕方ありません。火災はボランティアの到着を待ってくれないのではないでしょうか?

合併後も厳しい財政運営を迫られる中で、変わらない広さの行政地域をどうカバーしていくのでしょう?

下仁田町も過疎化の進む山間町村のひとつです。10年後下仁田町の15歳から64才の人口は半分(多分50%割れ)となり、75歳以上の後期高齢人口は5人に1人以上(23.3%)です。

こうした人口構成の中で防災消防体制や介護福祉体制はどうなっていくのでしょう?市町村合併したとしても実体としての「下仁田町」はそのまま残り、高齢化は確実に進みます。

単なる市町村合併だけでこうした問題は解決しません。平成の大合併の落とし穴と言わざるをえないのです。

【下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒14マイル≒22km】

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下仁田町にある渓谷です。若干高所恐怖症の気味があるので、谷が深くて震えてしまい写真が撮れませんでした。通れない渓谷に人類は橋を渡してしまったのです。なお、通れない注意報と誤解しないで下さい。

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2006年7月14日 (金)

勝手に下仁田町再生計画その5

・目立つ客単価の低さ

少し数字を使わせてもらって、下仁田町の観光の現状を見てみたいと思います。

平成16年度の下仁田町への観光客入込み数(推計)は前にも書いた通り66万1千人です(群馬県では中位のランクです)。年によって多少の変動はありますが、過去5年間の推移を見ると66万人~68万人の間を上下しており、それほど大きな変化はありません。

入込み客数のうち、日帰り客が64万3,300人(県内客26万7,200人、県外客37万6,100人)、宿泊客1万7,700人(県内客4,200人、県外客1万3,500人)です。

そして観光消費額(推計)は総額3億94,861千円で、うち日帰り客分が3億40,369千円、宿泊客分5,4492千円となっています。客単価は、日帰り客が529円、宿泊客が3,079円です。

この年の、群馬県の日帰り観光客単価の平均が1,196円、宿泊客が1万1,249円ですから、下仁田町に落とされる観光客のお金は、日帰り客で県平均の半分、宿泊客にいたっては3分の1といった水準です。

参考までに上げておきますと、観光で生きている草津町は日帰り客の単価が3,001円、宿泊客の単価が1万4,999円(同町の観光消費額はこの年276億円)、旧伊香保町が日帰り客単価1,561円、宿泊客単価1万1,800円(同129億円)です。

この違いは何か、ということを考えてみると、下仁田町に来た日帰り観光客は、下仁田町で食事をとることは余り(殆どかも?)ないと言うことです。また下仁田町で宿泊する人は、キャンプなど野営をする人やロッジに泊まる人が多いということだと思います(コンパニオンは呼ばないんですね)。

草津町に来る日帰り観光客はそのロケーションから言っても、町内のどこかで食事を摂らざるを得ない訳です。旧伊香保町にはうどんで有名な水沢があります。帰ったら、近所に配る、温泉まんじゅうも買わなくてはなりません。

下仁田町への日帰り客は、味噌おでんを食べたり、ソフトクリームを舐めるかもしれませんが、こんにゃくなどの農産加工品や農産物を買って帰るだけといったイメージです。食事を取ることはレアケースになります。

(味噌おでん、おいしいんですが、子供も食べられる甘 味噌スタンダードのほか、唐辛子味噌、ゆず味噌、山椒味噌などをチョイスできるようにしておいて貰えないでしょうか?お願いします。)

問題は、ここであきらめるかどうするかです。こんにゃく料理にこだわるのか、思い切って「牛鍋・すき焼きの街」宣言をし、少なくとも昼食需要を取り込むようにするかです(失敗したって、大した損はないですよ)。 

・5月と8月がダブルピーク

下仁田町の観光客入込み数を月別に見ていくと、ピークが二つあります。平成16年度の場合、5月の入込み数が9万7,000人、8月が10万9,100人で他の月を引き離しています。4月、7月、9月、10月、11月が5万人~7万人。6月、12月、3月が3万人台。1月2月は1万人台まで低下します。

春は桜、夏は野外活動、秋は紅葉で集客していることが見て取れます。

1月は、お隣の、貫前神社がある富岡市が、初詣効果により16万4千人(同市の月別入込み数では他の月を引き離し、ダントツ一位)、妙義神社がある旧妙義町が4万3千人まで膨れ上がります(1月に4万人以上の観光客入込み数を記録する町村は、スキー場があるところを除くと、少数で健闘している方です)。

この余慶で、下仁田町の1月の観光客入込み数は月別最低の2月に比べ8千人ほど多くなります(1万9,700人)が、このお隣にくる観光客のうち、下仁田町まで足を延ばす人は少ないと言わざるを得ません。1割も取り込んでいません(富岡市と旧妙義町の入込み客が100%同一人としても低水準です)。

1月と言えば「殿様(下仁田)葱」の旬の頃です。お客さんは、本場に来ないで、富岡市、旧妙義町で買って済ましているのかもしれません。生産農家も富岡市等の販売者に出荷しているでしょうから、余り本場まで来てくれることにこだわらないのでしょうか?

軽井沢町は前に書きましたが、年間の観光客入込み数は、約800万人です。そのうち半数近くが7月と8月に集中します(昨年の軽井沢町の7月8月合計の入込み数は364万2千人、平成16年が394万8千人)。

地元長野県からの観光客が4分の1で、近場の群馬県や東京・埼玉方面からの観光客が4分の3とすれば(軽井沢町の駐車場にとめてある車のナンバープレートなどからの推計)、下仁田町の7月8月の合計観光客入込み数は15万9千人(平成16年)ですから、この全員が軽井沢町絡まりの観光客だったとしても、約300万人の5%しか、下仁田町を通ってくれなかったと言うことになります。

(話は横道にそれますが、軽井沢のアイトレットに出店する店で昼食をとったことがあります。確か群馬県に本店が あり、その本店の評判は悪くなかったので入ってみました。やはり群馬県を贔屓にしてしまいますから。しかし、値段に比べて出てくる食べ物の貧弱さ、サービスの悪さだけが印象に残り、さっそく「二度と行かない店リスト」に入れさせてもらいました。実はその本店もまだ行ってないのですが、いつか行ってみようという気も萎えています。食い物の恨みは怖ろしいんです。)

(下仁田町に寄れば、旨い牛鍋定食かすき焼き定食が食べられるなら、下仁田インターチェンジで下りて、早い昼飯に牛鍋定食かすき焼き定食を堪能して、下仁田・軽井沢線で和美峠を抜けて軽井沢に入ったと思います。クルマの助手席に乗っているだけでいい場合は、定食を食べる前に、唐辛子味噌と山椒味噌とゆず味噌のこんにゃく田楽(味噌おでんでも可)か豆腐田楽から3本チョイスし、ビール中瓶を空けるでしょう。)

下仁田町で現在飲食店を経営している人には大変失礼な言い分で申し訳ないのですが、残念ながら、下仁田町と言われて、行ってみたい、或いはまた行こうという店がないのです。それが日帰り観光客の客単価の低さ、そして隣接する市町村に来る観光客の取り込みの少なさに現れているように思えて仕方ありません。 

1月と、7月8月の例を上げましたが、近くまで沢山の観光客は来ていますが、下仁田町にまで誘引しきれていないのです。旨いものを食べたい、評判の店に行ってみたいという欲求は多くの消費者がもっています。飲食店に頑張ってもらうというのは、観光客誘致の基本中の基本です。で、こうした現状を打破すべく、「牛鍋・すき焼きの街」宣言なのです。

(全ての店が牛鍋・すき焼きをメインにしなくても良いのです。この料理を中核にして、旨いそば店があり、旨いラーメン屋があり、旨い納豆や豆腐、乳製品、ハンバーグ・ステーキ店があればいいのです。特に豆腐はまだまだ魅力が増す食品です。早急な取り組みが必要と思います。)

(私見では、群馬県の場合片品村の「尾瀬ドーフ」さんがナンバーワンブランドになっています。また市販品では、本庄市のもぎ豆腐店株式会社の「三之助」ブランドや京都の男前豆腐店株式会社(ちょっとチョンボしたみたいだけど)の味、商品ラインアップ、販売手法が大変参考になります。)

(一品飛び抜けたものがあればいいのです。私は佐久市臼田町の瀬川若鶏料理店にはまだ行ったことがないのですが、今度軽井沢町に行くときは、瀬川さんによって「むしり(ローストチキン840円)」を食べてこようと思っています。ただ、下仁田町に飛び切り旨い鶏の唐揚げを食べさせてくれるところがあれば、瀬川若鶏料理店までは、なかなか辿り着けないと思いますが。)

【下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒14マイル≒22km】

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十割そばの看板に引かれ、自動販売機で券を買って食べてみました。生粉打ちマシンが流行っていますから最近はどこでも十割がだせますが、600円で安いとはいえ、汁も水っぽく、ちょっとがっかり。900円でもいいから本物が食べたかった。

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2006年7月12日 (水)

文化と歴史に欠けた夕張市の破綻(勝手に下仁田町再生計画その4)

観光のインフラとして、文化と歴史が豊な地域はそれだけで有利だ。

有名観光地の観光客入込数を見てみると、

京都市 4700万人

奈良市 1300万人

鎌倉市 1800万人

横浜市 3400万人

神戸市 2700万人

長崎市  440万人

函館市  530万人

(注記:統一した年の数字ではなく、近年の傾向的な数字を上げたもの)

である。東京から遠い函館市などは宿泊客の占める割合が極めて高いといった特徴がある。平成15年度の数字だが、525万人の観光客入込に対し宿泊観光客数が402万人。落とす金額も断然違ってくる(因みに群馬県全体は、平成16年度で6077万人。うち前橋市が493万人で最高だった)。

財政再建団体となった夕張市(7月11日エントリーの「夕張市の失敗」参照)の観光客入込数は、1991年の230万人をピークに、近年(平成15年度)は160万人程度に落ちている。この間も積極的な観光施設の建設整備にお金を投じたにもかかわらず、である(入込数の内訳が分からないので、宿泊客がどのくらいか分からないが、その年の北海道における宿泊客の多い地域ランキング20位までには載っていない。20位で45万人)。

2月の冬季に開催される夕張映画祭は、2万5千人以上の人が集まるイベントだったらしいが、焼け石に水である。このイベントを取り上げたマスコミの記事を広告費用に換算すると、20億円以上になったようだが、この金額が実際のお金として夕張市に落ちはしない。あくまで計算上の話である。

文化と歴史が豊な地域は、新たな観光施設を作らなくても、その町の佇まいなどに魅力があるため、一定の、それも高水準の観光客の入込みが確保できる。近畿圏に国宝の約60%、重要文化財の約50%が集中するそうだが、実際、京都市や奈良市の観光客入込数をみてみると、県(府)庁所在地、同規模の人口都市と比べた場合、かけ離れた観光客の入込み数を記録している。

もちろん伝統に練り上げられた懐石料理などの「食」も魅力があるから、観光客一人当たりの消費金額も多くなるだろう。工芸品やみやげ物などにも同じことが言える。

文化と歴史に欠ける地域が観光客を呼び込もうとした場合、新たな観光施設を作らなければならなくなる。夕張市には炭鉱のイメージはあっても、それ以外に柱になる文化的歴史的な魅力は乏しい。江戸時代の日本史とは無縁だから、江戸時代や幕末動乱の話にもまったく登場しない。伝統食もない。

石炭産業が衰退し、まちの振興策として、文化伝統に乏しい夕張市が観光を選択したとき、巨額の観光投資に突っ走らざるを得ない宿命を背負ったとも言える。

文化も歴史もない埋立地に作った東京ディズニーランドは巨額の投資をし、その後も追加投資し続けている(建設地に文化も歴史もないが、ディズニーというブランドがあったにもかかわらず、である)。

隣接して2001年9月に開設した東京ディズニーシーには、ホテルミラコスタを含めて約3380億円の投資を敢行している。もちろんディズニーランド同様ソフト、ハードの両面に数十億、数百億の追加投資を行っている。それでディズニーランドとディズニーシーを合わせて(一体で)年間2500万人の入場者を集めるようになった。

文化と歴史が豊な鎌倉は、観光施設に新たに投資をしなくても、年間1800万人の観光客が訪れる。

夕張市の負債は600億円を超すようだが、この殆どは観光関連事業に投資されたものと見てよいように思う。内輪に見て500億円としておこう。

東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドの平成18年3月期における連結決算書上の有形固定資産は5189億円である。この期の売上高は3328億円。減価償却などの問題があるが、話を単純にするため、オリエンタルランドのここ数年の連結決算おける有形資産は5200億円、売上は3300億円とする。

これを夕張市に当てはめてみると、500億円程度の観光施設があるのだから、317億円くらいのお金が夕張市に落ちないと、オリエンタルランド並みの利益(ここ数年の経常利益率は約10%の300億円前後)はでない(経常利益は負債の金利負担なども引いた利益。この300億円の半分くらいになる最終利益から、配当などの社外流失を引いた手残りと減価償却費あるいは新たな借り入れを行い、オリエンタルランドはリピーター確保のために新規追加投資をしている)。或いは公共事業としての投資価値がない。

(本当は317億円というお金は、建設した観光施設内で使われたものでなければならないが、公共事業という性格から、夕張市に落ちればよいと考えた)

売上を増加させるためには、客数を増やすか客単価を上げるかの努力をするのが普通だが、年間の観光客入込

数が160万人で頭打ちとなったら、一人当たり2万円を夕張市に落としてもらわなければならない勘定になる。群馬県の場合、日帰り観光客の一人当たり消費額は1200円、宿泊客で10000円程度だから、この平均2万円という数字はべらぼうな金額になる。

市が運営しているのだから、収支トントンで良いと考えても、285億円程度のお金が落ちないとトントンにはならない(変動費は考慮せず)。それに収支トントンでは、民間企業なら修繕も行えないような状態になる。

夕張市の小売販売額は年間130億円程度だから目標すべき317億円の半分にも満たない(小売販売額だけでなく、サービス業売上も含めなければならないだろうが)。それにこの130億円という数字には、地元夕張市民の日常的な買物の支出が少なからず含まれているのだ。観光客が落とすお金だけで317億円必要だったのだから、まるで足りない。

さまざまな制度を使えばお金がでるのをいいことに、野放図に観光施設に投資してきたことが、財政再建団体への転落という最悪の結果になったと言えるだろう。

夕張市の破綻は、立地も考えず、利用者のことも想定せず、ただ観光施設を作れば言いという考えが、まったく通じないという当たり前のことを教えてくれる。

北海道経済の低迷、少子化の進展はあったものの、文化と歴史に根ざさない、そして住民の生活とシンクロナイズしない観光振興が、どんなお粗末な結果をもたらすか、よく分からせてくれたような気がする。

今回も名勝旧跡の活用などについて書けませんでした。次回書きます。

(幸いにして下仁田町には大きな観光施設はないようです。これからも予算の制約から作れないでしょう。なお平成16年度の下仁田町の観光客入込み数は66万1千人でした。それにしても夕張市の観光事業計画を立てた人に話をきいてみたいものだ。)

【夕張市から軽井沢町までの直線距離≒513マイル≒821km】

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左は下仁田町中心街メインストリート。道の駅「しもにた」の中庭。

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2006年7月11日 (火)

勝手に下仁田町再生計画その3

・牛鍋・すき焼きの街宣言

前回、下仁田町は早く「すき焼きの街」宣言をするべきだ、と書きましたが、「ぐんまビジネストレンド21」のタイトルでやっているもう一つのブログに、7月7日付けでコメントをいただきました(横浜市出身と思われる「赤犬」さんという方からです)。

内容は、群馬の外食業者は群馬県産の素材をもっと活かしたら良い、というもので、その中に、上州牛+下仁田ネギで牛鍋屋という提案がありました。同様の意見の方がいらっしゃると思い、心強く思った次第です(関心の向きは、この文章の左上にある「ぐんまビジネストレンド21」をクリックしてみて下さい)。

下仁田町に提言したいのは、「すき焼きの街」宣言をしたら、既存の商工観光課かまちづくり推進室に「すき焼き係」を新設し、専従者を1名おくくらいの取り組みをしないと、いけないということです。

(横浜市出身の赤犬さんは、やはり横浜発祥の牛鍋がお好きのようですが、これも頂いて、「牛鍋・すき焼き係」でもいいですよね。いっそのこと「牛鍋・すき焼きの街宣言」にしましょう。牛鍋は牛肉をサイコロ状にカットして、甘味噌で煮込んだりしますから、葱はもちろん下仁田及びその周辺で作られる味噌、ゆずなども使えますね。ある店は牛鍋、ある店はすき焼きで勝負するというのは、お客としては楽しいですよ。それにすき焼きは、牛鍋からの派生発展の料理とも言えますし。)

(下仁田町の隣の富岡市には官営富岡製糸場跡がありますし、下仁田町自体にも幕末から明治時代半ばまで操業した中小坂鉄山(明治11年から4年間くらい官営製鉄所だったそうです)があり、維新回天にまつわる「下仁田戦争」も繰り広げられた土地柄です。隣接する軽井沢町は明治時代になって開発された別荘地ですから、こうした諸条件も含めると、文明開化の味がする「牛鍋」は下仁田町に打ってつけですね。)

専従の「牛鍋・すき焼き係」が何をするかといえば、下仁田町内で提供する牛鍋・すき焼きのレベルアップ、品質の向上であることは言うまでもありません。地元産品を使った新メニューの開拓もこれに付け加わるでしょう。商工会、農協との連絡・調整は欠かせません。

1000円から1500円出して提供する牛鍋やすき焼き定食が、牛丼チェーン店やコンビニエンスストアの商品以下だったら、元も子もありません。

牛丼の吉野家」のレトルトパックを使って定食を提供したり、デザートのこんにゃくゼリーをプラスチック容器のまま出すような店が現れたら、「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業は一巻の終わりです。「牛鍋・すき焼きの街宣言」は競争しつつも共同事業なのだ、という微妙な問題を参加者に按配しなければなりません。

夏には「冷やし豚しゃぶ定食」などのメニュー開発にも携わらなければならないでしょう。ガイドラインというと大げさですが、基本線を提示し、あとはそれぞれの店の創意工夫を支援することが仕事です。なにしろ、リピーターの獲得が至上命題ですから。

係りになった人は、体重の10キロ増や20キロ増は覚悟しなければなりません(「勝手に下仁田町再生計画その2」で言ったように、ヘルシーフーズの街を大枠のコンセプトとして下仁田町を売り出すのですから、ダイエットしてほどほどの体型の維持してください。笑)。

外食業ではよく「味、三分」と言います。他の7部は店の作りとサービスです。如何に旨くても、薄汚い店で、無愛想なサービスでは、支持する人は限られます。そんな経験をしたら、せっかく一度食べても、リピーターに結びつかない可能性が大です。

店のつくりは別に豪華でなくても良いのです。「こざっぱり、こぎれい、こまかなサービス」がポイントです。

ですから「牛鍋・すき焼き係」は、セブンーイレブンのフィールドオペレーションカウンセラーのように、毎週1度は「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業参加店に足を運んで、店舗指導を行い、経営相談に乗り、問題解決をしなければなりません。

言ってみれば町役場は「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業のフランチャーザー本部で、参加店はフランチャージーといったイメージです。町長は1日に一回は参加店のうちの牛鍋、すき焼きを試食してみなければならないでしょう。痛風にならないよう、気を付けてください(なんてったって、ヘルシーフーズの街を大枠にして下仁田町を売り出すのですから。笑)。

「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業を行うに当って最大の難関は、町民が一致団結できるかどうかでしょう。その一事がすべての成否を握っています。そこで気になるのが、土地柄、人柄の問題です。

『こんにゃくの中の日本史』(武内孝夫著、講談社現代新書)の中に気になることが書いてあります。

「そんなベルツ博士がもし下仁田を訪れていたら、ひっくり返ったにちがいない。原料問屋や仲買人の辞書には端から「共同」の文字は存在せず、昔から彼らが日々腐心してきたのは、いかにして「同業の裏をかくか」につきるからである」(168頁)。

またこうもあります。

「そもそもこんにゃく業界は、生産農家、仲買人、原料問屋(業界では俗に「粉屋」という)、製造業者(同じく「練り屋」)の四者からなるが、(中略)四者とも利害関係はばらばらで相反するからみな一度にそろって儲かるということは道理上ありえない。(中略)とくに利ザヤによる収益が大きい中間業者の原料問屋は、相場の先をにらんで同業者どうしの裏をかき合い、だまし合いが常態化する」(168頁~169頁)。

こんにゃく相場の安定で、すでに下仁田町には煮え立つような「鉄火場」の面影はありません。しかし、なお遺恨を抱える人間関係が残り、「共同」の考えが薄かったとしたら、「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業の先行きは危ういものになります。そうでなくても、競争と共同の二律背反を達成しなければならないのですから。

同じ群馬県のある村で、村を貫く幹線道路の拡幅工事が長年の懸案になっていました。その必要性は全村民が十分に理解しているのです。しかし、何年たっても道は拡幅されないまま放置されていました。

理由はきわめて単純です。ある村長が道路の拡幅を言うと、その村長の反対派が首を横に振る。現職を破って反対派の人物が村長になり、道路の拡幅をいうと、今度は今迄の村長派が断固同意しない。それを何年も繰り返した結果、道路が拡幅できなかったそうです。そして村は取り残されただけです。

程度の差こそあれ、どこの山間部自治体にもある話ですが、最早こんなことをしている余裕はない時代になっています。下仁田町がこの悪弊に犯されていないことを願うばかりです。

名所旧跡のことを書くつもりでしたが、次回になってしまいました。

【下仁田町から軽井沢までの距離≒14マイル≒22km】

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葱とこんにゃく畑。クリックしてみて下さい。

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2006年7月 8日 (土)

勝手に下仁田町再生計画その2

こんにゃくいもの生産量は、同じ群馬県の利根郡昭和村にトップの座を奪われたとはいえ、こんにゃくと言えば昭和村より先に下仁田町の名が思い浮かびます(この点において、上毛かるたの貢献度は高い)。

前回は、その売り物のこんにゃく離れのススメを提案しました。こんにゃくへのこだわりが逆に町の発展を妨げているとも書きました。少なくとも食に関して言うと、強く私はそう思っています。

中学生くらいまでの子供を連れた家族が、こんにゃくをメインにした料理を食べに飲食店に入りたいと思うでしょうか?子供連れの決定権は子供が持ちます。こんにゃくと言っても子供には「?」でしょう。

こんにゃく粉入りのパンは面白いと思います。しかし、失礼ながら「こんにゃく最中」は懲りすぎではないでしょうか?こんにゃくづくしの料理を食べても、私はハッピーな気分になりません。

素材そのものに味のないこんにゃくをメイン料理にすることに無理があるのです。

こんにゃくの刺身は好きです(ある銘柄しか食べませんが)。こんにゃくゼリーもよく食べます。以前書いたように、こんにゃくラーメンも良く買いました。

しかしこんにゃくステーキの類は一度食べればたくさんです。

煮物料理などの一つの素材として扱われるのが、こんにゃくにとってもっとも相応しい位置付けなのではないでしょうか。

こんにゃくのないおでんはどこか寂しい。正月の煮しめには、こんにゃくがないと煮しめになりません。こんにゃくが入っていない豚汁は変です。こんにゃくは、そういった脇役の存在でしょう。

食に対して人は極めて保守的です。食品としてのこんにゃくの消費拡大を図ろうと、無理をすればするほど、奇妙なものまで作り出すことになります。物珍しさから売れるかもしれませんが、その範囲を出ることはないと思います。

ならばすでにある、ほかの食材もこんにゃくと一緒に引き立てるべきです。

こんにゃくだけを前面に打ち出すよりも、ヘルシーフーズの町をうたい文句にしたほうがいいのではないでしょうか?こんにゃく、葱だけでなく、すでに

納豆(下仁田納豆)

そば(駅前のいそだ)

乳製品(神津牧場、下仁田酪農)

きのこ(椎茸)

山菜

豚肉(下仁田ミート=ルーツは下仁田町)

が知られているのですから、これを活用しない手はないと思います。これに、豆腐、味噌の人気店が出来れば、かなり面白くなると思います。

お隣になりますが、南牧村には普茶料理でも知られる黒滝山不動寺があるのですから、ここをイメージ戦略に使わせてもらったらどうでしょう?(南牧村の人が怒るかもしれませんが)。

観光客の誘致の鉄則は、そこに行かなければ楽しめないものを作り出す、ことです。その意味で「食」は最も手っ取り早い方策です。

こんにゃく入りの「下仁田カレー」や粒こんにゃくを入れた「

下仁田チャーハン」をサービスで出して、手応えがあったら 

メニューに加えるといった模索を続けることも必要だとは思います。しかしすでに一般化している食品の中から名物を作り出すほうが訴求力はあると思います。

餃子を名物にした宇都宮市。焼きそばは太田市を始め全国3市が名物にしています。ラーメンやカレーは横浜市に博物館があり活況を呈しています。

そこで、下仁田町に提案するのは、こんにゃく料理ではなく、「すき焼きのまち」として売り込んだほうがよい、ということです。「すき焼きのまち」宣言を早く出してください(すでにすき焼きを名物にしている旅館もあるようですが)。

地元の素材として、葱、しらたき(こんにゃく)、椎茸と揃っています。畜産県群馬だから、牛肉、豚肉、鶏肉は豊富です。普通のすき焼きに加え、とんすき、鳥すきの3種類を提供できるようにしたらなお結構でしょう。しゃぶしゃぶも出せるようにしておけば、言うことはありません。

1000円~1500円を出せば、旨い「すき焼き定食」が食べられるなら、下仁田町を通る営業マンたちも昼飯にこれを注文するでしょう。「すき焼き定食」にこんにゃくのたまり漬が箸休めにあり、デザートにこんにゃくゼリーが出てくるのなら、不思議ではありません。

ヘルシーフーズの町で食べる「本場の殿様葱(下仁田葱)が入ったすき焼き」(夏場はちょっときついかもしれませんが)をキャッチコピーにして、すき焼きを売り込む方が、町のイメージにとってはいいのではないかと思うのです。

(すき焼きとしゃぶしゃぶで売る株式会社木曽路の主力業態「木曽路」を参考にしたらどうだろう?)。

下仁田?下仁田に行ったらすき焼き食わなきゃ、が合言葉になる条件は整っているのです。

東京方面からの観光客の早めの昼食需要を取り込むために、土曜日曜祝日、そして学校が夏休みになる7月20日から8月31日までの間は、飲食店の営業時間を午前10時からにしてみたらどうでしょう?

下仁田ですき焼きを食べて、軽井沢に抜けるのが常道になれば、愉快ですね。

すき焼きを出すに当っては、和紙にこんにゃく糊を塗って作る「紙鍋」を復元して、これに盛って出せるようになれば最高でしょう(『こんにゃくの中の日本史』武内孝夫著、講談社現代新書を参考にしてください)。

すき焼きなら子供も喜んで食べるのではないでしょうか?

次回は名所旧跡、イベントを使った下仁田町の売り込み方について書こうと思います。

【下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒14マイル≒22km】

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上信電鉄下仁田駅と駅近くの路地。クリックして、見てください。

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2006年7月 7日 (金)

勝手に下仁田町再生計画

下仁田町の人口は、平成17年(2005年)で10,147人になります(国勢調査)。昭和35年(1960年)には20,640人でしたから、45年間で人口は半減したわけです。

この10年に限ってみても、平成7年(1995年)の人口が12,266人ですから、2,119人減少しています。率にすると17.3%減です。

これは下仁田町だけではなく、中山間部町村に共通した現象です。この間、群馬県全体では人口は増加したのですから、平野部への人口流出が続いたのでしょう。

世帯数も減り続けていますが、人口の減少ほど急激ではありません。平成7年に3,654戸だったものが平成17年度に3,487戸と167戸の減少です(率にして4.5%のマイナス)。

65歳以上人口の比率は、昭和45年(1970年)には10.2%でしたが年々上昇し、平成15年(2003年)になると33.9%です(下仁田町から入る南牧村は昭和45年にこの比率は11.6%でしたが平成15年には49.9%、つまり2人に1人と県内市町村で最高の比率です)。

こうした数字を見ると、若者が平野部に流れ、その親世代が下仁田町に暮らし続けている、といった様子が見て取れます。1世帯当たりの人口は昭和35年に5.04でしたが平成17年には2.91と3を切るまでになっていることからも、このことが窺い知れます。

年齢構成、人口の自然増減(年間100人のマイナスペース)・社会増減(年間150人のマイナスペース)からすると、このままで行けば、悲観的に見た場合、大胆に言って町の人口は10年後に5,000人規模まで縮小するのではないでしょうか。

下仁田町に町外から沢山の人が買い物に来る。観光に大勢の人が来てお金を落としていく。また下仁田町にある企業に町外から多くの人が働きにきている。そういう状況であれば、経済的には、別段町の人口が少なくても構わないのです(住民税に影響は出るでしょうが)。しかし、問題は人口と経済活動が密接な関係にあることです。

人口が少なく、高齢化率が高いと、えてして経済活動は沈滞しがちです。平成14年の商業統計になりますが、下仁田町の小売販売額は71億45百万円です。人口規模からすると50億円ほどの消費が町外に流出しています。町外からの観光客が落とす(買い物で使う)お金のことを考慮すると、流出している下仁田町町民の消費額はさらに膨らむでしょう。

お隣の軽井沢町の人口は約1万7,000人で世帯数は約7,100戸です。これに対して別荘数は1万3,000軒。夏場の人口は10倍近くに膨れ上がるそうです。年間の観光客入込数は約800万人を数えるそうです(因みに東京ディズニーランドと東京ディズニーシーをあわせた東京ディズニーリゾートの2005年度年間入場者数は2,476万6,000人です)。

明治時代から避暑地として知られ、国際的にも名の知られた軽井沢町と比較するのは酷ですが、800万人の1割、80万人程度を下仁田町に誘導できないでしょうか?

(お隣の、富岡製糸場、貫前神社、富岡サファリワールド、富岡市立美術館・福沢一郎記念美術館、群馬県立自然史博物館がある富岡市でも年間の観光客入込数は95万人です。)

一人平均5,000円程度使ってもらえば、40億円のお金が落ちます。1,000円でも8億円です。1,000円というと、お昼ご飯を下仁田町で食べてもらうといったイメージです。

(店舗の規模・客席数にもよりますが、月商で600万円、つまり年商で7,200万円を上げる飲食店は、店主が新車のベンツに乗れます。8億円需要が増えれば、そんな店が11軒強できます。1店5人の従業員で回すとすれば、55人の雇用が生まれます。その家族を考えれば、100人くらいの人口増要因になります)

町当局も手を拱いているわけではなく、「ふるさと下仁田の会」、「農業体験学習」、メールマガジン「しもにたタイムス」の発行などさまざまな振興策に取り組んでいるようです。しかし、なお道半ばです。

上信電鉄下仁田駅付近を歩くと、昔懐かしい気分に浸れる下仁田ファンの私としても「勝手に下仁田町再生計画」と題して、今後さまざまな案を提示し、活性化のお手伝いをしていこうと思います。

そこでまず提案するのは、こんにゃく離れのススメ、です。下仁田町にまず必要なのは、こんにゃくの呪縛から解き放たれることです。「ねぎとこんにゃく下仁田名産」のイメージが、下仁田町の発展を妨げていることに気付くべきです。

この件に関しては次回詳しく書かせてもらいます。

【下仁田町から軽井沢町までの直線距離≒14マイル≒22km】

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上信電鉄下仁田駅ホーム。

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