2007年1月 8日 (月)

買い物ついでにお寺参り

子供の頃は暑かろうが寒かろうが、決して暑いだの寒いだの口に出しはしませんでしたが、この世に生を享けて50年、最近はすっかり、そしてことあるごとに、寒いだの暑いだの愚痴るようになってしまいました。

磯に打ち寄せる波の泡がはじけるように、ぶつぶつぶつぶつ言っております。

(ぅ~寒むッ!とか、あッち~なぁ!とかです。泡がはじける音とはだいぶ違いますが・・・。)

朝起きて、寒いだの暑いだの。

部屋を移動して、暑いだの寒いだの。

外に出て、寒いだの暑いだの。

クルマの運転席に座って、暑いだの寒いだの。つい、口をついて出てしまいます(修業が足りないんです)。

従って一昨日土曜のように氷雨降る日、昨日日曜日のように寒くて風が強い日は、家に引きこもり、ピーナッツ齧りながら炬燵にあたって本を読んでいるに限ります。

いつの間にか不覚にも居眠りしていたりするんですが・・・。

Img_3720 しかし、今日は朝からいい天気になりました。二日も家に閉じこもっていると、外の空気も吸いたくなります。で、文房具を買いに「カインズホーム・スーパーセンター前橋吉岡店」に出撃いたしました。

なかなかの人出でしたがすでに初売りが終わっているからでしょうか、連休3日目だからでしょうか、ごった返すほどの賑わいでもありません(ここはセルフレジを導入していることでも知られますが、レジに大行列ができないのはそのお陰でしょうか?)。

そんなに時間のかかる買い物ではないので、早々に店から退出。しかしなお日が高い時間だっただけに、さてどうするか、思案に暮れてしまいました。

すぐに帰って本でも読むか、TSUTAYAに寄ってビデオでも借りるか、本屋に行くかさてどうしようと迷っているうち、まだ松の内、ここまで来たならちょっと足を伸ばして水沢寺の観音さんに新年のご挨拶に行こうと決めて、マッハ2.5はとてもでない銀毛の我が「流星号」の鼻面を北に向けた次第。

Img_3721 途中、水沢うどん街のすぐ下にある「満菜館」さんの横を通リましたが、やはり行列してました(写真、相当奥のほうに見られます)。

さすが、開店3年にしてオーナーは1億円の豪邸を建てたと人が噂する中華料理屋さんです。横浜中華街で下手な中華料理屋に入るより、「満菜館」さんのほうが数段、上ですしお値段もお手ごろ。

Img_3734 (大きい声では言えませんが、もう随分水沢名物水沢うどんは食べてません。もっぱら「満菜館」さんです。一人で食べるうどんなら、前橋市元総社町の「田中屋」さんの「うまかうどん」で満足してます。左は水沢うどん街)。

Img_3733 さてさて、時と場合により、人はだれでも悪鬼、夜叉、悪女、悪党、鬼女、悪漢、妖女、悪餓鬼、破廉恥、毒婦、酔いどれ、頓珍漢、おっとせいに豹変、転落する可能性がゼロとはいえない存在。

外面如菩薩、内面如夜叉の可能性もあります

Img_3737 Img_3738 それを自覚すればこそ、お寺さんの存在はありがたいもんです。

お正月ともなれば、あちらのお寺こなたのお寺に善男善女がお参りするのも良く分かります(お墓・仏壇のある家は、菩提寺が初詣先と言うことになるでしょうが・・・)。

(因みに、神社はみんなのためにお参りし、お寺は個人的なお願いにお参りするものだと思っておりますが、果たしてどうなんでしょう?)

Img_3728 で、坂東16番札所ともなれば、この騒ぎ。善男善女が雲集しておりました。駐車場には群馬ナンバーに混じって、品川、熊谷、所沢、とちぎなどなど遠方からのクルマもあり、善智識の謦咳に接すべし、観音様のご利益授かりたしの願いや救われたい、救ってくださいの思いがギンギラギンにさり気なく、みなぎっておりました。

線香が充満する境内には読経が流れ、山川草木悉皆成仏。悉皆仏性。悉皆平安。

と、聞こえました。

Img_3730 日差しは柔らかく、ぎゃ~てぇ~、ぎゃ~てぇ~の声が榛名の山ふところに響き渡っておりました。                                        

               

暑くても寒くてもぶつぶつ文句を言わないようにします。今年もいい年でありますように。合掌

(写真はクリックしてみて下さい。)

【坂東16番札所がある伊香保の水沢寺から軽井沢町までの距離≒21マイル≒33km】

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2006年6月26日 (月)

前橋出身の千日回峰行者

天台宗の荒行である千日回峰行をご存知でしょうか?

千日回峰行というと、かつてNHKがその修行の模様を放送したこともあり、酒井雄哉(ゆうさい)大阿闍梨のお名前を思い浮かべる方が多いかもしれません(同大阿闍梨は2度千日回峰行を修しています)。

この千日回峰行を初めて行ったのは相応和尚で、平安時代始めのことです。同和尚から数え、千日回峰行を修した人は、およそ1200年の間に49人を数えるだけです(戦後は12人)。

千日回峰行は、天台密教の基礎を確立した天台宗第三代座主、慈覚大師・円仁(元米国駐日大使ライシャワーさんがその著作でべた褒めした人)が中国から伝え、前述したように、その弟子相応和尚が初めて修した荒行です。修行を中途で断念すると、自死が不文律になっている荒行と覚えている方があるかもしれません。

7年の歳月をかけて行うものですが、始めの4年間で500日を歩きます。毎年100日間(4年目は200日)連続して7里半(約30キロ)を歩きます。ただ歩くだけでなく、毎日300箇所で加持祈祷を行っていくのです。

5年目に1年で200日歩いて、合計で700日を過ぎると、行の中でも難関の「堂入り」と呼ばれる9日間の断食、断水、不眠、不臥を行います。飲まず食わず眠らず横にならず、です。確か、唾を飲むのも決まりがあるように記憶しています。後半には生者にもかかわらず、そこはかとない死臭が漂うと言われます。

この間、ただ座禅していればよいのではなく、9日間毎日、あ伽替え(仏に供える水を替える)をしなければなりません(確か、堂の外にある井戸まで往復しなければならなかったと思います)。どんなに弱っていても、人の手を借りることはご法度です。修行を放棄したものと見做され、行はそこで中止になります。つまり、死です。

無事「堂入り」を果たした翌年は、京都赤禅院まで往復60キロを100日歩きます。最終の7年目は200日歩くのですが、始めの100日は、比叡山から京都市内を回り、1日84キロ(マラソンの2倍の距離!)を歩く「京都大回り」を行います。この頃になると、阿闍梨のご加持を受けようと、行く先々でずらりと善男善女が道端に跪いていますから、それぞれの頭に数珠を授けます。ただのウォーキングとはえらい違いです。

そして最後の100日を終えて満行となります。修行中に歩く距離は、地球一回りになるそうです。

同時並行で行う、12年の籠山行(比叡の山に籠る。この間父母の死があっても葬儀に山を降りることは許されません)も必須となります。

例え原因が怪我や病気であったとしても、行を中断する場合は、行の初めに授けられる懐刀で自死することが、不文律になっているようです。

この超人的な荒行を修した「北嶺大行満大阿闍梨」(千日回峰行者の尊称です)の一人に、前橋市出身の上原行照大阿闍梨がいらっしゃいます。

平成6年に、天台宗1200年の中で48人目となる大阿闍梨になられました。今年48歳になられるのでしょうか。今は比叡山延暦寺善住院の住職をなされています。

上原大阿闍梨は、前橋市小相木町にある天台宗大徳寺の前住職上原泰真氏(県庁の職員を兼務した時期がありますので、ご存知の方も少なくないと思います)のご長男です。

前橋市立東中学校を卒業すると、上原大阿闍梨は比叡の山に向かっています。因みに中学校時代の部活は男子バレーボール部でした。小柄で、にこやかな少年といった、印象を受けている同級生が多いようです。まさか、千日回峰行者になるとは、と皆、異口同音の反応のようです。

言わずもがなのことですが、上原大阿闍梨はお寺生まれの方としては、初の北嶺大行満だそうです。継ぐべきお寺があるのに、死を賭してまで千日回峰の荒行に挑まなくとも、と私も思います。

自然にそうなったのかもしれませんが、何が彼をそうさせたのか、同じ前橋の縁で、いつか比叡のお山を尋ねたいと思っております。回峰行の道を歩くことができる一日回峰行の「三塔巡拝」も行われているそうですし。

四国遍路など、行に対する関心が高まっているので、

上原大阿闍梨のことを書かせていただきました。合掌

【前橋大徳寺から軽井沢までの直線距離≒26マイル≒42km】

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上原大阿闍梨がお育ちになった前橋市の天台宗大徳寺の山門。市文化財。

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2006年6月18日 (日)

『北斗の人』と妙見寺

司馬遼太郎の小説「北斗の人」は剣豪千葉周作の剣術修行物語ですが、後半になると、群馬県が主な舞台になります。もちろん全編大いに楽しめる小説なのですが、見知った土地が次々登場する後半に入ると、上州人にはいよいよ面白くなります。

逗留先となる高崎を始め、前橋、伊香保、草津など群馬各地が登場します。上州縁故の剣術である馬庭念流の存在は、話の展開の支えにもなっています。

中でも、旧群馬町周辺は主要な舞台になります。有力な剣術家でありながら千葉周作の弟子となり、応援者となる人物が道場を開いている関係からです。

そして、千葉家の守護神が妙見菩薩であることから、旧群馬町にある妙見寺との因縁も書かれていて、この小説を読み終わったあとに、同寺に行けば、また違った興趣に浸れると思います。

妙見菩薩が本尊ですから、眼病にご利益があるお寺だと思います。近視など目が悪い人は、近くにイオンのショッピングセンターが今秋オープン予定ですから、その行きか帰りにお参りしてみてはいかがでしょうか(逆かな。お参りの帰りにショッピングセンターにでも寄るのが筋か。そうしないと、ご利益は薄いかもしれない)。

小説を読んでいて、予期せず、群馬が舞台になり、ぐっと引き込まれることがあります。『北斗の人』も、ただ司馬遼太郎の著述というだけで、読み始めたのですが、群馬が登場するので、余計に氏の代表作のひとつとして推奨するようになりました。

笹沢佐保氏の自伝的な小説を読んでいるときもそうでした(題名を忘れてしまった!)。氏は小説の中で、若い頃沼田市で料理人として働き、ひと悶着があったことを書いており、ワクワクドキドキした記憶があります。氏の創作である上州新田郡出身の「木枯らし紋次郎」誕生の背景には、そうした事情もあったのでしょうね。

【群馬郡妙見寺から軽井沢までの直線距離≒21マイル≒33km】

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五月雨を集めて激し、坂東太郎。後景は榛名山です。

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