老いを考える(旧盆の入りの日に)
今日(8月13日)の読売新聞群馬版に、前橋市の民家で男性と男性の父親の2遺体が発見されたとの記事が載っていました。
男性は50歳、その父親は82歳と出ています。男性は2年ほど前に脳梗塞で寝たきりとなった父親の介護をしながら、二人で暮らしていたそうです。
男性は首を吊っていたことから自殺と見られ、その父親は病死と見られています。男性の妹さんが発見したそうですが、数日前、妹さんに「介護に疲れた」とこの男性は話していたそうです。なんとも気の毒な話です。
この話と結びつける気持ちは全くありませんが、同じ今日の朝日新聞の生活欄に「隠れた虐待 高齢者をどう守る」の記事があります。東京都東大和市の特別養護老人ホーム「さくら苑」の職員による、認知症の女性入居者に対する言葉による心理的・性的虐待事件を取り上げ、その背景を追った記事です。その記事はこう終わっていいます。
「施設に高齢者虐待防止センターをもつ特養ホーム『フィオーレ南海』(略)の柴尾慶次施設長は、職員の労働環境にも目を向ける必要があると話す。『ゆとりのケアができる条件を整えずに虐待防止を訴えても建前論に過ぎない』。介護職員の労組からも、人件費削減による低賃金、常勤職員のパート化などによる精神面の疲弊を指摘する声が上がっている。」
同じく今日の日本経済新聞文化欄には作家の高井有一氏(74歳)の「病む」と題するエッセイが掲載されています。腎臓を患って、最近入院した話です。その中で、高齢の入院患者を医師や看護師が気軽に「おじいちゃん」、「おばあちゃん」と呼ぶことの是非について書いた後、続けてこう書いています。ちょっと長くなりますが、引用させてもらいます。
「孫娘よりももっと年下の看護師の手に身体を委ね、おじいちゃん、おばあちゃん、と声をかけられて、ふと気持ちの和む瞬間がありはしまいか。彼または彼女の身辺に、おじいちゃん、おばあちゃんとよんで呉れる人がいない場合だってあり得るではないか。長患いを知らず、孤独な生活を強いられているわけでもないのに、ついそんな方へ思いが飛ぶのは、やはり近年、私の老いが深まって来た事と関係があるだろう。」
同じ日本経済新聞の家計欄「マイバランス」に、聖路加国際病院理事長で、もうすぐお元気に95歳を迎える日野原重明氏の談話も掲載されています。
氏は談話でおっしゃっています。「医療費は高額療養費の制度もあるし、介護保険もある。専門家に聞けば、大体の今後の所要費用はわかりますよ。それ以上にお金を残してどうするんですか。財産の相続なんて意味ない。(中略)人生は「クレッシェンド」(音楽用語で「だんだん大きく」)。やりたいことだらけなのでお金は全部、使い切りますよ。」
パラサイトシングルが論壇で話題になってから何年経つでしょうか?事態は依然改善されていません。フリーター人口は201万人。フリーターの年収は200万円未満がほとんど。正社員の平均年収は20代後半で387万円だから半分以下(数字は今日の朝日新聞オピニオン欄の「人口減で明日はー働き方編―」から引用)。
パラサイトは親があってのパラサイトです。親が元気なうちはいいのですが、宿り主の親が寝たきりになると様々な掛りが発生しますから、状況は厳しくなります。親が高額な年金を受給していたり、蓄えがたくさんあれば、まだ、いいでしょうがそうでないと悲惨です。
親が寝たきりで長患いするかどうかだけでも、「格差」は発生します。私が知っているケースでは、四姉妹の一番下の方が大学生の時親御さんが倒れ、その一番下の方が介護の柱となり、そのまま20年近く経過した、という例がありました。
私がその方にお会いしたとき、彼女は未婚で職業にはついていませんでした。私の親が先に亡くなったので、それきりその方にはお会いしていませんが、淡々として親を介護する彼女の姿勢に、私はどういう言葉をかけたらいいのか、途方に暮れたのを覚えています。
【二人暮しの親子の遺体が発見された前橋市から軽井沢町までの直線距離≒26マイル≒42km】
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