三途川を渡って「富岡製糸場」に行く(その3)
正門を入った正面に木骨(もっこく)レンガ造の「東繭倉庫」が見えますが、大げさに言えば押すな押すなの大盛況。
老いも若きも、ミーちゃんもハーちゃんも、助さんも角さんも、お染さんも小梅ちゃんも、み~んな来ておりました。
正門を入ったところに「本日群馬県民の日のため無料」とありました。ラッキーです。
かつラッキーだったのは、午前11時からのボランティアガイドの案内が聞けたこと。
案内してくださったのは、富岡清さんという方でしたが、この方の説明が実にツボを得た解説でした。
明治維新の頃、何故、生糸生産後進国の日本の生糸が注目されたか、工場敷地内にあるお雇い外国人ポールブリューナの邸はコロニアル(植民地)様式のため床が高くなっており、そこを食料庫として使ったと言われているがその本当の利用方法は、といったことも解説してくれました。
当時の世界情勢の中の「富岡製糸場」の位置づけから工女の暮らしのくさぐさまで、1時間に渡り熱弁を振るっていただき、脳ミソが刺激されました。
別段、「田辺一鶴」風の飛んだり跳ねたりの講談調で話すわけではないのですが、久しぶりに語りの面白さに引き込まれてしまいましたね。
パンフレットに書いてある建物の大きさ等の棒読みはなし。
代わりに、建物に関しての話では、工場建設は突貫工事で進められ、材料に生木(なまき)を使っているけれども、歪みたわみは生じなかったが何故か、といったことを教えてくれました。
実に多分野に渡って勉強されているに違いない、という印象の方でした。脱帽、感謝です。
ところでこの赤煉瓦作りの「富岡製糸場」、横浜の「赤煉瓦倉庫群」のようにショッピング街にする計画はなかったのでしょうか?
「富岡製糸場」の元の所有者は片倉工業。結構あっちこっちのショッピングセンターの不動産オーナーのように記憶しております(冗談ですよ)。
それにしても、何故、「富岡製糸場」の建物が残ることができたのか?
それは片倉工業という会社の社是にあったそうです。答えを知りたい人は、「富岡製糸場」に行って、富岡清さんにお会い下さい。
【世界遺産暫定リスト国内決定の「富岡製糸場」がある富岡市から軽井沢町までの直線距離≒18マイル≒29km】
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