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2006年9月26日 (火)

明治大学全国校友栃木大会に行く

慶應、明治、大正、昭和、平成と、その校名に元号を冠した大学は少なくありませんが、遡れるのは慶應までで、慶應の前の元号である元治(西暦1864年~1865年)や、さらにその前の文久(同1861年~1864年)を校名に使った大学はありません。

(文久大学だと、キャンパスにはちょんまげ結った学生が歩いていそうです。)

京都に種智院大学がありますが、この大学は弘法大師空海が天長5年(西暦828年)に開いた、庶民も入れる「綜藝種智院」がそもそもの淵源だそうです。しかし、残念ながら「天長大学」をお名乗りになっていません。

「元禄大学」なんて賑やかそうでいいと思いますが、回転すしチェーンの新入社員研修施設と間違われるのを恐れてか、この大学名も残念ながらありませんね。立地は吉原の近くにしなければならないのも、ネックになっていると思います。

お寺は昔、今の大学の役割を果たしていましたから、天台宗の総本山である比叡山延暦寺などは、元号を校名に使った初めての大学とも言えるのではないでしょうか。

初めての元号は「大化の改新」の「大化」ですから、大学全入時代に新設校を作るなら、いっそのこと大化大学を名乗ればインパクトがあるかもしれません(ないな・・・)。

でもこれに近い大学がありました。大東文化大学。大東大という略し方をしますが、大化大、と言えば東京大学との紛らわしさがなくなります(そんなこともないな・・・)。

しかし大化は退化と音が同じだからやはり使われることはないでしょうね。同じ「タイカ」でも大化け(オオバケ)するのと退化するのではえらい違いです。

ところで、元号を使う場合、予め宮内庁にお伺いをたてるのでしょうか?延暦寺は、確か、時の桓武天皇のお許しを得て延暦寺と名乗ったように記憶しています。誰か教えてください。

看板料ではありませんが、使用料をとって皇位継承第3位の悠仁様養育ファンドなんか作ったりして(冗談です。平成商事や昭和産業の社長さんびっくりしました?)。

Img_1850 まあ道中、そんなことを考えながら、この間の日曜日(9月24日)、お隣の栃木県で開催された明治大学全国校友会に行ってまいりました。

毎年この明治大学全国校友大会は開催されているのですが、今回が初参加でした。栃木県で開催されるということで、同じ北関東の誼で群馬県に住むものとしては出席しないわけにも行かず、秋の一日、会場となる宇都宮市までバスに揺られることになったわけです(明治大学校友会群馬県支部総会のとき、栃木県支部の坂寄輝雄会長から参加要請のご挨拶をいただいていたし)。

盛況で大変結構な会でした。およそ1500名の参加者があったそうで、慶賀の至りです。

Img_1852 「人寄せパンダ役」に徹したいらっしゃるような元内閣総理大臣の村山富市校友会名誉会長と、私も写真を撮らせていただきました(韓流スターを追っかけるミーハーオバちゃんと同じノリです。村山さんの左にいるのは私ではありません。お元気な92歳の校友、大先輩です。ややお疲れの感のある村山元首相に対し、92歳の先輩は軽く100歳を超えそうなオーラを発しております。この先輩のお祖父さんは間違いなくちょんまげを結っていたはずです)。

村山名誉会長は祝賀会になっても、飲みも食べもせず、ひたすら全国校友の写真リクエストに応えていらっしゃいました。すごいもんです(恥かしながら私など、ひたすら飲んで食っていただけでした)。

祝賀会の前にテレビでお馴染みの北野大明治大学理工学部教授(明大中退のビートたけし氏のお兄さん)の記念講演があったのですが、宇都宮餃子を食べに会場を抜け出したので、パスしてしまいました。在学中も品行方正ではありませんでしたが、卒業してからも良きOBになれず、反省です。

(北野教授の記念講演を聞いた人からのまた聞きですが、北野3兄弟が何故全員明治大学に入ったかというと、それはおっかさんの初恋の人が明大卒業だったからだそうです。「たけし君、はい」もう一度見直そうかなあ。

こだわりというのは、何かのトラウマの裏返しなのかもしれません。あなたの恋人のこだわりを解明していくと、意外な過去が現れるかもしれません。怖ッ!)

【明治大学全国校友栃木大会が開催された宇都宮市から軽井沢町までの直線距離≒73マイル≒117km】

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コメント

 OB会に1500人! うわ、すごいですねえ。

 なるほど、明治大学というのは、元号の明治から来ているわけですか(慶応大学も慶応に由来する、というのは、目から鱗でした。お恥ずかしい!)。確かに、明治時代から続いていれば、北関東で開催しても1500人、集まるんでしょうね。

 良きにつけ悪しきにつけ、伝統のある大学には「学校ナショナリズム」みたいなものがあって、それがその学校の魅力や力の源泉の一つにもなっていると思います。

 もう15年も昔、学生時代に、慶応の友人に神宮に早慶戦(慶応は慶早戦というそうですが)につれて行かれたことがあります。現役はもちろん、老壮青がスタンドを埋め尽くし、7回(だったと思います)になると、一面識もない隣席の人たちと肩を組んで、「けいお~! けいお~! 陸の王者、けいお~!」と大合唱でした(早稲田側ももちろん、「都の西北」です)。

 早慶になんのゆかりもない私は、なんともいえない居心地の悪さを感じながらも、初めて目の当たりにした「学校ナショナリズム」に、ただただ驚くばかりでした。いや、圧倒された。きっと、明治にも同じようなナショナリズムがあるんでしょうね。

 ちなみに私の出身は吹けば飛ぶような小さな公立大学で、「改革派」市長にズタズタにされてしまいました。旧制高校の流れを汲む商学部(私はここの経営学科卒)と、理学部が合併されて、流行りの「国際ナントカ学部」に。おまけに、「公立大学法人」に衣替えで、学長は外国人です(ミッション系でもなんでもないのに!)。一方で、医学部はそのまま存続。ああ…。

 私が在学中、「いっそ、(同県内の)横浜国立大学に医学部を売却して、そのお金で、キャンパスを漁港町からオシャレなみなとみらい地区に移転させてくれればいいのに」なんてことを、さえない学食で友人たちと話していたことを思い出します。

 実際、MM地区は当初の計画が大幅に狂い、企業が誘致できずに大赤字(今でもそのようですが)。私の通っていた大学の移転話も、どこまで真実味があったかは判然としませんが、噂レベルとしては存在したのです。で、馬鹿学生たちは、「MM地区に移れば、フェリスのお姉ちゃんたちともつきあえるんじゃないか」と、こっちはマジメに期待していたのです。トホホ。

 なんだか話が全然ずれてしまいましたが、弱小公立大学出身者としては、「しがらみがなくていいや」と負け惜しみ半分で思う一方、やっぱり、全国メジャーで歴史と伝統のある明治のような大学にも憧れてしまうのです。

投稿: 赤犬 | 2006年9月27日 (水) 09時25分

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