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2006年7月11日 (火)

勝手に下仁田町再生計画その3

・牛鍋・すき焼きの街宣言

前回、下仁田町は早く「すき焼きの街」宣言をするべきだ、と書きましたが、「ぐんまビジネストレンド21」のタイトルでやっているもう一つのブログに、7月7日付けでコメントをいただきました(横浜市出身と思われる「赤犬」さんという方からです)。

内容は、群馬の外食業者は群馬県産の素材をもっと活かしたら良い、というもので、その中に、上州牛+下仁田ネギで牛鍋屋という提案がありました。同様の意見の方がいらっしゃると思い、心強く思った次第です(関心の向きは、この文章の左上にある「ぐんまビジネストレンド21」をクリックしてみて下さい)。

下仁田町に提言したいのは、「すき焼きの街」宣言をしたら、既存の商工観光課かまちづくり推進室に「すき焼き係」を新設し、専従者を1名おくくらいの取り組みをしないと、いけないということです。

(横浜市出身の赤犬さんは、やはり横浜発祥の牛鍋がお好きのようですが、これも頂いて、「牛鍋・すき焼き係」でもいいですよね。いっそのこと「牛鍋・すき焼きの街宣言」にしましょう。牛鍋は牛肉をサイコロ状にカットして、甘味噌で煮込んだりしますから、葱はもちろん下仁田及びその周辺で作られる味噌、ゆずなども使えますね。ある店は牛鍋、ある店はすき焼きで勝負するというのは、お客としては楽しいですよ。それにすき焼きは、牛鍋からの派生発展の料理とも言えますし。)

(下仁田町の隣の富岡市には官営富岡製糸場跡がありますし、下仁田町自体にも幕末から明治時代半ばまで操業した中小坂鉄山(明治11年から4年間くらい官営製鉄所だったそうです)があり、維新回天にまつわる「下仁田戦争」も繰り広げられた土地柄です。隣接する軽井沢町は明治時代になって開発された別荘地ですから、こうした諸条件も含めると、文明開化の味がする「牛鍋」は下仁田町に打ってつけですね。)

専従の「牛鍋・すき焼き係」が何をするかといえば、下仁田町内で提供する牛鍋・すき焼きのレベルアップ、品質の向上であることは言うまでもありません。地元産品を使った新メニューの開拓もこれに付け加わるでしょう。商工会、農協との連絡・調整は欠かせません。

1000円から1500円出して提供する牛鍋やすき焼き定食が、牛丼チェーン店やコンビニエンスストアの商品以下だったら、元も子もありません。

牛丼の吉野家」のレトルトパックを使って定食を提供したり、デザートのこんにゃくゼリーをプラスチック容器のまま出すような店が現れたら、「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業は一巻の終わりです。「牛鍋・すき焼きの街宣言」は競争しつつも共同事業なのだ、という微妙な問題を参加者に按配しなければなりません。

夏には「冷やし豚しゃぶ定食」などのメニュー開発にも携わらなければならないでしょう。ガイドラインというと大げさですが、基本線を提示し、あとはそれぞれの店の創意工夫を支援することが仕事です。なにしろ、リピーターの獲得が至上命題ですから。

係りになった人は、体重の10キロ増や20キロ増は覚悟しなければなりません(「勝手に下仁田町再生計画その2」で言ったように、ヘルシーフーズの街を大枠のコンセプトとして下仁田町を売り出すのですから、ダイエットしてほどほどの体型の維持してください。笑)。

外食業ではよく「味、三分」と言います。他の7部は店の作りとサービスです。如何に旨くても、薄汚い店で、無愛想なサービスでは、支持する人は限られます。そんな経験をしたら、せっかく一度食べても、リピーターに結びつかない可能性が大です。

店のつくりは別に豪華でなくても良いのです。「こざっぱり、こぎれい、こまかなサービス」がポイントです。

ですから「牛鍋・すき焼き係」は、セブンーイレブンのフィールドオペレーションカウンセラーのように、毎週1度は「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業参加店に足を運んで、店舗指導を行い、経営相談に乗り、問題解決をしなければなりません。

言ってみれば町役場は「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業のフランチャーザー本部で、参加店はフランチャージーといったイメージです。町長は1日に一回は参加店のうちの牛鍋、すき焼きを試食してみなければならないでしょう。痛風にならないよう、気を付けてください(なんてったって、ヘルシーフーズの街を大枠にして下仁田町を売り出すのですから。笑)。

「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業を行うに当って最大の難関は、町民が一致団結できるかどうかでしょう。その一事がすべての成否を握っています。そこで気になるのが、土地柄、人柄の問題です。

『こんにゃくの中の日本史』(武内孝夫著、講談社現代新書)の中に気になることが書いてあります。

「そんなベルツ博士がもし下仁田を訪れていたら、ひっくり返ったにちがいない。原料問屋や仲買人の辞書には端から「共同」の文字は存在せず、昔から彼らが日々腐心してきたのは、いかにして「同業の裏をかくか」につきるからである」(168頁)。

またこうもあります。

「そもそもこんにゃく業界は、生産農家、仲買人、原料問屋(業界では俗に「粉屋」という)、製造業者(同じく「練り屋」)の四者からなるが、(中略)四者とも利害関係はばらばらで相反するからみな一度にそろって儲かるということは道理上ありえない。(中略)とくに利ザヤによる収益が大きい中間業者の原料問屋は、相場の先をにらんで同業者どうしの裏をかき合い、だまし合いが常態化する」(168頁~169頁)。

こんにゃく相場の安定で、すでに下仁田町には煮え立つような「鉄火場」の面影はありません。しかし、なお遺恨を抱える人間関係が残り、「共同」の考えが薄かったとしたら、「牛鍋・すき焼きの街宣言」事業の先行きは危ういものになります。そうでなくても、競争と共同の二律背反を達成しなければならないのですから。

同じ群馬県のある村で、村を貫く幹線道路の拡幅工事が長年の懸案になっていました。その必要性は全村民が十分に理解しているのです。しかし、何年たっても道は拡幅されないまま放置されていました。

理由はきわめて単純です。ある村長が道路の拡幅を言うと、その村長の反対派が首を横に振る。現職を破って反対派の人物が村長になり、道路の拡幅をいうと、今度は今迄の村長派が断固同意しない。それを何年も繰り返した結果、道路が拡幅できなかったそうです。そして村は取り残されただけです。

程度の差こそあれ、どこの山間部自治体にもある話ですが、最早こんなことをしている余裕はない時代になっています。下仁田町がこの悪弊に犯されていないことを願うばかりです。

名所旧跡のことを書くつもりでしたが、次回になってしまいました。

【下仁田町から軽井沢までの距離≒14マイル≒22km】

Img_0481 Img_0478

葱とこんにゃく畑。クリックしてみて下さい。

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